せせらぎの仲間たち

「COCO せせらぎ」をご支援いただいている皆様

                             NPO 法人川崎北部グループリビング  理事長 酒井行夫

いつも「COCO せせらぎ」をご支援いただきありがとうございます。
2010 年 7 月に高齢期の生活を考えようとグループリビングの勉強会、設立準備会を始めて 3 年、高津区明津で素晴らしい地主さんとの出会いがあり、2014 年 7 月に「COCO せせらぎ」 をオープンする事が出来ました。
「自立と共生」を掲げ、高齢期に入った一人住まいの人達が、共同することで社会的なつな がりを持ち、きちっとした食事をとることで、いつまでも元気でいられる 10 名の住まいを目指 したものでした。
設立時の説明会では多くの方にご参加いただきましたが、実際は 4 名での船出となりました。 その後も入退去を繰り返しながら、2020 年 7 月に初めて 10 名満室になりました。
現在、入居者の方は皆いきいき生活して運営にも参加し、運営委員会に 2 名が入居者代表と して参加、その他にも小さな仕事を皆で行うなど、当初想定した通り 10 名程のコミュニケーシ ョンが良いと実感しているところです。その後も入居を希望される方が多く、現在入居予約者 9 名となっています。

運営母体として NPO 法人を選択したのは、継続性の問題からでした。人は年々年を取ります。NPO 法人も構成員が若返らなくては続きません。今年度は新たな理事 3 名に参加して頂 けることになりました。2 人はまだ 40 代でこれからを担っていって欲しい人材です。

前田さんも 90 才を迎え、理事長を退任され、私が新たな人材が育つまで理事長を引き継ぐことになりました。前田さんには副理事長として、まだまだ 「COCO せせらぎ」の為に力を出して頂けると思います。
コロナ禍の中、「COCO せせらぎ」も対外的な活動を制限される状態が続いています。実際 に活動できない中で、私たちの生活を知ってもらうにはどうしたら良いかと、2020年からせせ らぎに暮らして感じたこと、昔の思い出、これからのことなど、入居者やスタッフに自由に綴 って頂き、毎月ホームページに掲載してきました。2021 年 10 月には「グループリビングに暮ら して」として纏めたものを冊子に致しました。大変好評でしたので、2022 年 10 月に№2 を発 行致しました。
グループリビングという住まい方の選択肢は、これからの社会により必要とされています。  さらにこの運動を広げて行けたらと思っております。

夏みかん

2023.04.24

みんなで作ったマーマレード

 

cocoせせらぎのお隣に住む大家Aさんの庭に、今年もぼんぼりのような甘夏みかんがたくさんぶら下がっています。ツヤツヤして木成りの完熟のようです。

Aさんから「ぜんぶ収穫してなにかに使ってね」との連絡をいただき,雨上がりを待ってM氏とさっそく収穫作業開始、なんと1個500gの重みのある夏みかんを9個摘み取りました。

4個は調理担当のスタッフさんがデザートに使いたいとのことで、残りの5個はマーマレードを作ることになりました。

手の空いた入居者6人が各自の包丁を持ち寄り、仕事を分担してマーマレードづくりに挑戦,経験者も初心者もワイワイガヤガヤおしゃべりしながらの楽しい作業です。

皮を洗い、四つ割りの皮は茹でこぼし、1ミリに薄切りしました。果肉は薄皮と共に煮始め、ペクチンの豊富な種も小袋に入れて煮ます。今回は水のかわりに料理用の白ワインと、杏酒を加えた贅沢な作りです。

そこにグラニュー糖を数回に分け投入して、とろみがつくと完成です。

大家さんにはガラス瓶に入れてお礼としました。残りは入居者10人に等分に分けました。

原料が良かったのか,ワインや杏酒のおかげか、味も色合いも特級品と自画自賛しての出来栄えのうちに、甘夏マーマレード作り無事終了しました。

  (入居者:石)

cocoせせらぎに暮らして    2023・3・20

cocoせせらぎのひな祭り    cocoせせらぎに暮らして2023・3・20

コロナウィルス感染も マスコミでは下火になったと報じられています。この隙間をぬって私たちもおひなさまと一緒に春を祝いましょうと 入居者を中心に  cocoせせらぎの日頃の活動を支えていただいている運営委員・スタッフ・ボランティアに声かけして 27名でせせらぎひな祭りを3月2日に行いました。

IMG_0024cocoせせらぎには 木目込み8段飾りのすばらしい雛飾りがあるのです。ボランティア K さんに雛壇を組み立てていただき 緋毛氈を敷いて 1年間眠っていたお雛様やお道具を 入居者で飾りました。桃の花もほんのりと蕾をほころばせています。またボランティア手作りのつるし雛もたくさん飾りました。加えてボランティア M さんの71年前のお内裏様もお飾りして 豪華で見ごたえのある雛飾りができました。

当日は 挨拶やボランティアの紹介があり 入居者 T さんがピアノ演奏したり みんなで「たのしいひなまつり」「朧月夜」をスタッフの伴奏で歌ったり 和気あいあいのなかプログラムは進みました。

お昼はサンドイッチ弁当に桜餅。

cocoせせらぎは飲める人が多いので みんなでことあるごとにアルコール類を楽しんでいますが 今回も赤白ロゼワイン 濁り酒の差し入れがありました。お抹茶も M さんが茶釜を持ちこみ お点前をしてくださいました。地域の方が手作りした「さくら」「うぐいす」など和生菓子もふるまわれました。梅ジュースは去年地域の方から差し入れのあった梅を 入居者が手作りしたものです。それから酒粕から作った生姜風味の甘酒も 大鍋にたっぷり作ったのにあっという間の完売でした。                                         日々付き合いのある仲間 話題は尽きませんが 記念撮影をしておひらきにしました。     こうした行事があるたびに 私たちの生活は支え合いだなーと ますます実感するのです。    IMG_0012

 

雛飾りは外の通りに面して設置されていますので 通りすがりに「なつかしい~」と声かけしてくださる人や 写真を撮っていく人が結構います。夕方から就寝時まで ぼんぼりに灯りもつけています。お内裏様をほんのり照らす横顔を見ていると 幼い日のひな祭りを思い出すのは私だけではないでしょう。

ひな祭り齢重ねて嬉しかり明年もまた祝いたきかな       (入居者・石) 

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cocoせせらぎホームページ  2023・2・28

cocoせせらぎホームページ     2023・2・28

春の足おと

寒くてちぢこまっていたのに 日射しが今までよりちょっと明るくて 外に出ておいで!と呼ばれているような気分になる日があります。                         cocoせせらぎの3階から南を見ると 神庭(カニワ)里山と呼ばれる丘陵が広がっています。2月 その里山が 春だよ! と言っているようなうっすらピンクに霞んだような色合いに染まってくるのです。それを見たとたん 毎年かならず口をついて出てくる歌が・・・

丘の日射しは 明るくて                                 雑木林の楢(ナラ)の芽が                                 あかくけむって見えるから                                春は ほら ほら もうすぐそこまで                           きているよ

東北大学教育学部附属小学校教師だった富田博*作詞 仙台の高校教師だった海鉾喜美*作曲の『春の足おと』という歌。

私は富田博先生がいらした附属小学校に敗戦2年後の1947年に入学し この歌をよく歌いました。校歌も富田先生が作詞された「夜明けだ夜明け 青いぞ空は」という素敵な校歌でした。    物資も食料もなくて 私はわら半紙の教科書と数本の鉛筆を 布製のうすいカバンに詰めて ゲタを履いて 雨の日はカサもなく風呂敷をかぶって通う やせ細った小学生でした。ノミ・シラミだらけだったので 全校生徒一列に並ばされて 頭から袖口から白い粉のDDTを噴霧され 栄養失調だったので肝臓ゼリーや虫下し薬が配られ 脱脂粉乳とコッペパンの給食も3~4年生の頃からはじまりました。アメリカ軍から下りてきたのか 切り干しリンゴなどという不思議な給食もありました。

学校には戦争から復員してきたばかりの先生もおられ 真っ赤な顔で大声で怒ると軍国兵士だった面影が・・・なにしろ世の中は混乱していました。敗戦まで陸軍の末端組織に組み込まれ軍国主義一色だっただろう小学校が いきなりアメリカ占領軍がもちこんだ民主主義というものに 必死で順応しなければならなかったこの時代。戸惑いながら新しい教育のあり方をさがしていたのでしょう。この国立の教育学部附属小学校の全生徒は 毎月のように知能検査を受けたり脳波を取られたりと かなり実験的でした。

そんな学校の国語教師だった富田先生は 多分リベラルな優しい考えの持ち主だったのではないだろうか・・・戦争中はなにも言えず苦しい思いをしてきたけど 民主主義の時代がやってきて 勇ましい軍歌調でもなく お涙頂戴の演歌調でもない 子どもが素直に晴れやかに歌える歌を・・・と 湧き出すようにたくさんの詩を書かれたのではないかと想像します。

学校がえりの つるつる雪みち 走ってかえろー 走ってかえろー 走ってかえろ

タ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラ                 カタカタ カバンが背中で鳴って クンクン子犬も尾をふって走る

何が起きたのかわからず大人になされるがまま 食べるものもなくやせ細った仙台の子どもたちに 富田先生は「戦争は終わって明るい時代が来たんだよ! 春がやってきたんだよ!」と伝えたかったのではないだろうか? 私たちは家でも学校でもこれらの歌を気分よく歌いました 作曲がまたとても歌いやすく 歌詞に合ったメロディーでしたから。

つらい思い出の方が多かった小学校時代でしたが 富田先生の歌が口をついて出てくると 不思議となつかしい気持ちで仙台を思い出すことができます。       (土)

 

 

せせらぎの春の兆し             

江川せせらぎ沿いの1月末 蠟梅が満開のお宅を見つけました。こんなにたくさんの花が咲いている蠟梅を見たことがないので もしかしたら別の花かも・・・

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今まで茶色一色だったのに 緑色の下草が生えてきた2月半ばのせせらぎ遊歩道

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河津桜の花芽が いまにも咲きそうにぷっくり膨らんでいます。IMG_00092月半ば 河津桜が開きはじめました。

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2月末 五分咲き?

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地面の上では野の花が開きはじめました。ホトケノザの花の一つ一つにかわいい顔が見えます。

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春一番にひらく野の花 クリスマスローズ

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COCOせせらぎ 2022.12

白い髪に

50歳を過ぎたころだったか 頭に白いものを見つけるたびに まるで仇のように一本一本抜き 「白髪だなんて・・・」と受けいれられない気持ちで染めることをはじめました。

退職した60歳のころ 一時染めるのをやめようかと迷ったこともありましたが まだまだ! と抵抗して 黒い髪のままいつの間にか80歳まできてしまいました。

 

それが去年くらいから なにか白い髪を自然に受けいれられる気がしはじめたのです。理由はいろいろありました。

70代はまだ若かった まだ虚勢を張れた というかがんばろうと思ったことを最後までがんばり 疲れて倒れこむけどすぐに起きあがり 倒れたことなど忘れてつぎへ・・・まだ体のなかのバネが効いていたのかもしれません。正直「後期高齢者なんて世間はいうけど 70代はまだ元気元気!」と反論したい気持ちでした。

ところが80の坂を越えたころから なにか変なのです バネが金属疲労でもおこしたように あれ? 私って起きあがれない・・・?と 倒れてしばし寝込むことも出てきました。

前のように ”倒れたことなど忘れてすぐつぎの行動へ”などということができなくなり もっとすすんで 倒れたことを忘れられず これからは倒れないようにしようと気をつけはじめ どんどん慎重になってきました。慎重になると つまり動きは遅くなり 動く回数も減り ゆるゆるノロノロ・・・ これはフレイルの入り口かな?

友だちが「80の坂はきついよ」と言っていたことが身に沁みました。最初は受けいれられず前のようにズンズン動き 寝込んでは80歳を自覚し・・・そんなことを繰り返しているうちに やっと”自分は老いの坂のつぎの段階に入ったのだ” と悟りました。なんでもゆっくりペースに そして力を抜くことを覚えた楽なペースに(脱力というのは意外と難しくて 抜こうと思ってできるものではありません)。

 

体も心もそのことを受け入れ そこでつくづく自分の顔を見ると 鏡の中には・・・?

柿が日光にさらされているうちにしぼんで干し柿ができあがるように 私も日々の生活にさらされているうちにずいぶんとシワが・・・できたら上等の干し柿のように 柔らかく甘くできあがったのならいいんだけど???

体も 心も 顔も もう黒い髪は似合わない。老いを素直にみとめ それにぴったりな白い髪になろう! 神さまが人間の最後の姿として与えてくださった白い冠 その姿であちらに行こう!

 

80になって考え始め 81の誕生日に決心 いま実行中のホワイトヘアー・プラン。

髪は額縁というけど・・・自分はどんな風になるんだろう 想像がつかず途中かっこ悪くて部屋に引きこもってしまうかな? いやいや きれいな色の帽子や かっこいいヘアバンドで楽しく過ごそう! などと思う毎日です。

美容院の方によると 完成まで一年半もかかるというこのプラン。半分は心配で でも半分は新しい自分に出会えそうで 楽しみです。           (土)

COCOせせらぎに暮らして 2022・12

cocoせせらぎに暮らして               2022・12

秩父に遊ぶ

 調理スタッフ、E.A。

絵に描いたような小春日和の中「ここせせらぎバスハイク」の一行14名は一路秩父へとマイクロバスを走らせました。私を含めここ二三年ほどコロナ禍で遠出もままならず、開放的な旅気分を味わうこともありませんでした。もちろん現在も「感染対策をしっかりして」という枕詞はつきますが・・・・・・・。

バスに乗り込むと、差し入れの朝食とおやつをいただき、旅気分全開で久しぶりの遠出旅みんな楽しんでいました

途中でトイレ休憩しながら峠を越えると、眼下に秩父の街並みが見えてきました。最初に訪れたのは四番札所金昌寺大きな山門と草鞋のお出迎えです。中に入ると大小さまざまな石仏が穏やかな顔で所狭しとならんでいました。古の人々は何をお願いしてこの石仏を奉納して来たのだろうかなど、思いをめぐらせながら参拝してきました。次に向かったのは西善寺。「コミネかえで」の大木がどんと天を突き破る勢いで枝を張り巡らせていました。樹齢六百年とか戦国の世を生きた人もきっとこの大樹を眺め、私達と同じように癒されていたことでしょうね

もう一箇所所訪れたのは「まつり会館」秩父夜祭で有名な山車傘鉾が展示してあり、大きな技術の高さ。歴史の深さに圧倒されました。これが実際に街に繰り出されたら、すごい迫力だろうなと想像を広げました。

もちろんお昼ごはんと温泉も旅のを楽しみの一つではありましたが、私は久しぶりの旅で日本の秋を満喫できました。計画してくださった皆さん、旅を一緒に楽しんでくださった皆さん、ありがとうございます。

COCOせせらぎ 2022/11

後期高齢者のお出かけ           cocoせせらぎ2022・11・15

 

「新大久保は日本の韓国よ」と韓国事情に詳しい T さんの話に

「行ってみたーい‼︎ 案内してー‼︎」とお願いして 今回の半日探訪が実現しました。

 

せっかく行くのだから夕食を食べたいね と相談して張りきって出かけました。

行程はバスで武蔵小杉まで 三田線で目黒乗り換え JRで新大久保へ そこから街を探索して 夕食後は東新宿駅まで歩き 副都心線で武蔵小杉にもどるルートでした。

 

後期高齢者4人のお出かけなので 当然土日は避けたのですが、新大久保の通りに立ったとたん 人の多いのにびっくりです。若い人が断然多く 迷子にならないように歩こうねと心掛けたものの人が多くて さっそく一人が見えなくなり電話するやら探すやら 大変な混雑でした。

 

歩きはじめると 通りに立ったまま なにやら食べている人を見かけました。

店の前に並ぶ人の列、人気のおやつとの T さんの説明に 私たちも並びました。『ホットク』という焼き菓子でした。焼きたての蜂蜜ホットクは 小腹がすいていたので美味しく 元気が出ました。立ち食いも苦になりません。

 

通りを歩きながらたくさん並ぶ店を覗き 狭い路地のイケメン通りに入りました。食べ物の店が多く 若者がお酒を飲んでいました。K popのショーが見られるという店を目指しましたが 残念ながら閉まっていました。

 

今日の目的地の一つ『高麗博物館』を訪ねました。ちょうど韓国と北朝鮮の絵本展開催中で たくさんの絵本に出会いました。韓国の歴史のビデオを観たり 絵本の説明を聞いたりしました。    高麗博物館の展示

 

次に立ち寄ったのは韓国市場です。野菜や肉、海苔、お茶、酒、餅、ラーメン、できあがった参鶏湯や豚足 海苔巻きなど韓国ならではの食材が沢山。4人で思い思いの買い物をしました。

夕食は 家庭料理が食べられるという T さんおすすめの『水宝館』に行きました。生マッコリも注文、料理は参鶏湯、海鮮チヂミ、キムチ盛り合わせ、焼肉などなど。

食事の途中で4人の若者が入ってきて イケメンぞろいだったので聞いてみると やはりK popグループでした。AIOSという名のグループで公演のハガキも貰いました。

 

いつもの生活を離れて刺激のある場所に来るのもいいなーと満足の半日旅でした。(石)

 

秋も深まり せせらぎ遊歩道で見かける落ち葉のきれいなこと。茶色くなってしまう前にとパチリと撮りました。下はノコンギクとホトトギスです。

 

 

 

11月8日の晩には皆既月食ショーを遊歩道を

歩きながら満喫しました。

cocoせせらぎに暮らして      2022.10.25

cocoせせらぎに暮らして           2022・10・25

巾着田の曼珠沙華  見物

暑さ寒さも彼岸までといわれるなか 9月中旬を過ぎても真夏日がつづき 9月の三連休は台風に見舞われ 天候不順がつづきました。ところが予定の9月27日は快晴となり 私たちせせらぎの仲間3人は 埼玉県日高市の巾着田を目指してバスで出発しました。

JR南武線新城駅から乗りこみ終点立川駅まで そこから青梅線・八高線・西武池袋線と 4回乗り換えて 高麗駅まで約3時間かかりました。平日ということもあり 電車は空いていましたが 高麗川沿いの河原には遠足の子どもたちやグループが多くいて 賑わっていました。

昭和40年後半ごろ 高麗川の巾着田の用地を日高市が取得し 藪や竹林 葦に覆われた現地を整地したところ 9月ころ一斉に曼珠沙華が咲きそろったそうです。高麗川が蛇行した形が〈きんちゃく〉に似ていることから巾着田と呼ばれるようになり 河川の増水によって流れてきた漂流物の中に混じっていた球根がここに漂着して 根づいたものと言われています。

秋の彼岸を少し過ぎていましたが 500万株の曼珠沙華が赤いじゅうたんを敷きつめたように咲き渡り 樹木の間から差しこむ陽に照らされ キラキラと光り輝く様はほんとうに見事でした。

しばらく散策し テントの下で焼きソバをいただきました。入園料が500円かかりますが 広大な公園の整備のためには納得でした。帰り道に農家さんが野菜や栗を売っており 迷わず栗を購入。3人からのお土産として持ち帰り 冷凍庫にしまいました。

3日後に保管しておいた栗を皆で手分けしてむき スタッフさんに夕食の栗ごはんを作ってもらい いただきました。年に一回の栗ごはん きっと長生きできるかな~と思いながら・・・

元気に12000歩の散策! 翌日足の痛みもなく ウォーキングをつづけていける幸せに感謝しています。                           (及)

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cocoせせらぎのバーベキュー・パーティ

コロナも一時おちついて 私たちもホッと一息。そうだ、以前やったことのあるバーベキューをまたやろうよ ということになりました。10月5日の夕方から食堂と裏庭に20人が集まりました。                                          買い物担当 仕込み担当 焼き方担当 食べる専門の人もいて・・・それぞれ楽しい2時間を過ごしました。炭火がおきてきて そのうちカッカと燃えさかり そしてだんだん灰になって白く消えていく。石油ストーブやエアコンでは味わえない 体の芯まで温めてくれる炭火を久しぶりに味わいました。

 

 

 

 

 

cocoせせらぎホームページ   2022・9・20

せせらぎにもコロナが・・・      cocoせせらぎホームページ 2022・9・20

「中国でよく分からない感染症が発生した」というニュースを聞いたのが 2019年のお正月の頃でした。横浜に停泊していた豪華客船ダイアモンド・プリンセス号から日本にも広がりはじめて 死者が増えていき・・・コロナの正体も対処法もよく分からないまま。

第1波といわれる頃には 病床ベッドが足りない! 人工呼吸器が足りない! 志村けんさんもエクモを使ったのに亡くなった! 県を越えて移動しないように! などなど怖いニュースに振りまわされていました。エクモって何?などと言いながら  なにしろ手洗い・マスク・換気に気をつけ 手が触れそうなところをぜんぶ消毒して回ることで 日々の不安を追いはらっていました。

2波 3波・・・寄せては返すコロナの波にもまれつつ第7波まで 私たちはなんとか奇跡的にコロナにかからずにここまでやってきましたが ついに。誰がなってもおかしくないね と私たちは話しあっていましたので そんなに慌てずに対処できたと思います。

cocoせせらぎとして コロナ感染の記録を残しておこう ということでご本人とライフサポーターさんに 文章にまとめていただきました。IMG_0026

コロナ感染記

*7月29日の朝「前夜から微熱(37.5℃)、血中酸素97(正常値)、軽い咳。呼吸障害や頭痛などなし」とライフサポーター Fさんに電話連絡した。理事長と副理事長にもライフサポーター から連絡。                                          *ライフサポーターSさんが購入してきてくれた抗原検査キットで、本人と長女(父と一緒に法事出席するため、たまたませせらぎに宿泊中だった)が検査した結果、本人は強い陽性反応。長女は陰性だったが、濃厚接触者となる。                             *かかりつけ医であるしまむらクリニックに電話をして状況を話すと、発熱者は外来に来ないようにと。後刻、保健所から症状聞き取りの電話があった。食糧支援を依頼した。(2日後に宅配で食品数種類とトイレットペーパーなどの日用品がかなりの量 届いた。)
*川崎市新型コロナウィルス感染症コールセンターに電話したが連絡がつかなかった。

*酒井運営委員からの通達が入った。                           ①入居者は3日間は基本的に部屋から出ないように。                     ②せせらぎで行う催しはしばらく様子をみる。                       ③スタッフに連絡をとる。                                ④調理スタッフには通常通り作ってもらい、それを順次取りに行き、個食とする。
⑤食器の片づけも順次おこない、基本的に集まらないようにする。              ⑥本人と長女は、個室で一緒に食事をする。                        (食事のお盆は隣室のNさんが個室ドア前に届け、ドア前に出された食後の食器もまたNさんが洗って乾燥器に入れる、ということをお願いした。)                      *運営委員の木村さん夫妻から助言をいただく。                      ①長女の洗面やトイレ使用は本人の部屋で。                        ②洗濯はいつも使用している洗濯機で。                          ③浴室は最後に使用する。                                ④部屋の換気は頻繁に行う。

*川崎市保健所感染対策課との電話相談では、本人は80歳で高齢者なので、重点患者として登録されているとのこと。毎日、聞き取り調査の電話があった。連日軽い症状で推移しているが、もし容体が急変した場合は救急車を呼ぶようにとのことだったが、そこには至らず。発症後7日目が堺で、快方に向かうか悪化するかの分岐点になるという。                   *感染者本人の隔離期間は症状が出た日から10日間で、8月7日までだった。         *濃厚接触者隔離期間は、7日から5日に変更されたそうで、長女の場合は8月11日に解除された。

2週間余りの間、私たち父娘の生活を支えてもらいました。誠にありがとうございました。なお、娘より「父と私に対するみなさんの温かい応対をいただき、かねてより父が申しているグループリビング運営の素晴らしさに感動しています。せせらぎにはまた来たいと思います」との言葉がありました。                                (池)IMG_0006 

ライフサポーター として

7月末、入居者の一人の方がコロナにかかりました。                    発症の2日前、猛暑のなか歩いて30分くらいかけてお帰りになったのがとても気になっていました。いつもとはちがい、とても疲れた顔をされていました。                 大丈夫かなぁと思っていたのですが、その次の夜、事務局長のFさんから電話があり、その方が発熱し、喉の痛みもあるとのこと。連絡をもらったのが夜だったのでなにもできなかったのですが、翌朝せせらぎに行くまでに何ができるかを、私は考えていました。

まず、コロナであるか、そうでないかをはっきりさせないと、入居者のみなさんの不安につながると思い、薬局が開く時間に電話で抗原検査キットがあるかを5軒ほど聞きました。コロナが増えていて、ほとんどキットが売りきれ状態・・・1軒だけ売っていると聞き、すぐ買いに行きました。せせらぎに着いてすぐ検査を実施すると陽性でした。

さてこの後の対応どうしたらいいのかと・・・せせらぎは老人福祉施設ではないので厚労省の指導・支援もなく、いろんな事がわからないことだらけ・・・そしてコロナ発生の頃とは国や保健所の対応がかなり変わっていましたので、どうしていくかを、入居者の運営委員Tさんとすぐ相談しました。まず入居者全員の方に現状を把握して貰い、どうするかを入居者みんなで話し合いしましょうとTさんから提案があり、サロンにみんなで集まりました。

一番の問題は、みなさんの夕食でした。もし夕食を作ってもらえないとなると、みなさんにはお弁当を買ってくるという対応になる予定でした。が、今はだいぶ制限がゆるくなっていることもあり、調理の方が入居者の方と接しないように調理をし、調理が終わったら運営委員のTさんに連絡、Tさんから入居者に順々に連絡。そして各自が部屋で食事をとれば接しないのでは という意見が出ました。調理の担当の方に連絡を取ると、協力して頂けると了解して貰いました。みなさんホッとされていました。

ライフサポーターは専門的な知識はなく、今後どうしていくか・・・運営委員のなかに奥様が保健師さんという方がいらっしゃったので、その方に連絡をすると、とても適切なアドバイスを頂き、結果コロナは誰もうつらずに過ごすことができました。

再度入居者のみなさんに集まって頂き、話し合いを設けました。運営委員の方が入居者&スタッフの抗原キットを確保してくださり、調べてみると全員が確実に陰性で、みなさん安心することができました。

最初に入居者の方の異変に気づいてくださったのは夕食担当の調理の方でした。普段から食事の様子を見てくださっていて、普段とちがう様子を事務局長に伝えてくださったことだと思います。せせらぎに関わる人たちの報連相(報告・連絡・相談)、チームワークのすごさを実感しました。

日頃のこまめな感染対策や4回目ワクチン効果などもあり、二人目感染が出なくてホッとしました。この間、数回にわたる入居者の話し合いがもたれ、そこで「何を手伝えばよいですか」などの声がだされ、それぞれが出来るところでの応援体制ができ、入居者、スタッフの協力で乗り越えられました。元気な高齢者のシェアハウスならではの2週間が過ぎ、ご本人の快気祝い、濃厚接触者だったご長女とのお別れをかねて、夕食会で乾杯をしました。「自立と共生」のせせらぎらしい助け合いができ、嬉しかったです。                               今回の体験から、せせらぎの中でも適宜に相談できるアドバイサーが必要ではないかと思うのと、保健所、医療機関の対応がもう少しスムーズにできたらよかったと思います。                              ライフサポーター (佐)

 

~ ~ 秋の気配が ~ ~

あんなに暑かった夏が ふと気づくともう秋風になり いつの間にか蝉の声が聞かれなくなっています。せせらぎ遊歩道の夜の散歩に出ると 秋の虫の声が繁く 小川では魚が水音をたてて・・・めぐまれた所にいるんだなぁとしみじみ・・・                       植物も夏から秋への模様替えです。近隣で撮った最近の花の写真を並べてみました。

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夏の終わり エノコログサ

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ネムの花 夢の中のようなIMG_0012

つぎつぎと花を咲かせるキキョウIMG_0013

たくさん実をつけたフウセンカズラから 来年のために種を取りましたIMG_0011

春には真っ白な花を咲かせるのに 秋になると真っ赤な実をつける不思議なヤマボウシIMG_0021

色っぽい芙蓉の花IMG_0009

街中ではめずらしいカラスウリの花 繊細なレース編みのようIMG_0019

たわわに実をつけたムラサキシキブ ひと枝いただいてきました。IMG_0021

にぎやかな街なかにも中秋の名月が          (土)