” 楽しい選挙戦 ”
2024・12・20
あれれ? なんか変だ・・・生活の質がどんどん落ちてきているんじゃない? と思うことが最近よくあります。
コロナが流行りはじめたころ消毒薬が薬屋さんからあっという間に消え たかが一枚のマスクにも長い行列ができたことにはビックリだったのですが 最近になって私は咳止め薬を求めて あれれ?と思うほど遠くまで薬局を探しあるきました。
バスの便数やコースが年々減ってきて タクシーもなかなか来なくなって 私たちは外出をためらってしまうのに せまい路地裏にまでお金持ちのベンツやアウディなどの高級外車が走りまわっています。
木々の多かった所からいつの間にか緑色が消えて コンクリートの高層ビルがニョキニョキとあらわれ・・・
公務員だと思っていた図書館司書 ハローワーク職員 役所職員など多くの人が非正規雇用だそうで なんと日本の労働者の4割が非正規 あれれ? 年金どうするの・・・
ヨーロッパから乳製品を輸入するために日本の酪農家が牛乳を溝に捨てたり お米がいきなりスーパーの棚から消えたり 値上げの波が次々とやってきて 食べるに困る人々がフードパントリーに並ぶ。「一日二食しか食べられないひとり親世帯を助けて!」というテレビの公共広告に胸が痛みます。そして強盗詐欺事件の多いこと・・・つい最近の事件では税金の支払いに窮した若者が闇バイトに誘いこまれたという。
なんか貧しく荒れた社会になっていくなぁという実感は GDP一人当たり世界第2位だったのが今や36位だし 30年間日本だけ賃金下がりっぱなしという統計が出ていると聞けば あれ~実感通りなんだと納得。税金・社会保険料として給料の48%も引かれるのでは 若い人たちが結婚も子育ても家も車もあきらめるのは当然の成り行きだなー と。
折しも政治家が資本家を招いてパーティを開き 何百万 何千万のお金を帳簿につけないままポケットに入れていたことがバレて 国民の怒りを買い 今年10月「選挙でガラガラポン!」ということになりました。
あれ~ なんか政治がおかしい 私になにかできることないかなぁ~ と考えはじめるのがバカなところなのですが こんなに貧富の差が広がった社会を子どもや孫の世代に残せないじゃない? と82歳 人生初の選挙の手伝いを体験しました。
選挙ってどうやるの? 最初は恐る恐る エネルギーに溢れた若いボランティアの皆さんの後ろについていきました。横浜の選挙区は坂道や階段が多く 心臓パクパク 息ハーハー でも皆さん特に私を年寄り扱いするでもなく またスピードについていけないと見れば足を緩めてくれたり・・・やさしい若い友人がたくさんできました。
ネコの手より少しはマシかな と思いつつ手伝わせてもらっているうちに 2週間はあっという間に過ぎ・・・結果は「あれれ~落選!」。でもこの30年間ビクともしなかった国会がグラっと動いて 与野党伯仲の緊張感が生まれはじめた様子。私たちの生活の質は 少しは上がるかな?
何よりの収穫は選挙戦を通して健康になり フシギなことに風邪をひかなくなりました。 私の今年最大のイベントは。。。そう、もちろん”楽しい選挙戦”でした。 (入居者・土)
選挙が終わってほっとして 日吉慶応大学構内の銀杏並木を見に。
イチョウの葉が落ちて 真っ黄色になった道を散歩 夕日が射して あたり一面 ぼーっと明るい道でした
家族で韓国旅行に
2024・12・25
今年夏頃 旅行に行こうよと話し合いになり どこにする! 娘と孫娘・孫息子・私の4人で韓国に行こうということになりました。
コロナ禍の前に失効していたパスポートを取ることからはじめました。孫息子が来春大学卒業し 就職先が内定し 3月には会社の寮に入ることになるそうで そうなったら)家族で一緒に旅行は無理なので それぞれ仕事や学校の用事を調整し 12月初旬にしようと決めました。
娘は二度目の韓国 他の3人は初めて。手続きはすべて娘に任せ 私はついていくだけ。足腰が丈夫なうちと決めたのは正解でした。
1日目は羽田発朝8時半の飛行機に乗るため 娘宅を出たのは5時半 金浦空港に着いたのは11時半でした。入国するのに1時間以上かかり 迎えに来ていたタクシーに乗れたのは1時半。
ソウルは1週間前に大雪に見舞われ 心配していましたが 三日間好天でほとんど雪は溶けており 乗り物に乗っているときは何の心配もなかったのですが 外の空気はとても冷たく さすが韓国と思いました。
最初に案内されたのは世界遺産の韓国民俗村でした。民俗村はとても広大で 朝鮮時代の建物や文化を見ることができました。グルメや商店も多く 短時間に回りきれませんでした。ランチには焼肉を食べ 大いに堪能しました。タクシーの運転手はとても気さくで また2時間ほどかけてホテルに送り届けてくれました。日本語が堪能でいろいろ話をしてくれ楽しい会話でした。ソウルは片側5車線が車で溢れ渋滞していました。 (写真は民俗村での踊り)
一旦ホテルに荷物を置いて 賑やかな明洞(ミョンドン)の商店街を見て回りました。夜店の通りは観光客であふれていて なかなかお土産を買うことができず タクシーを拾えず 地下鉄でホテルに戻り眠りにつきました。
2日目はホテル始発のバスツアーで 北朝鮮国境線までバス貸切で出発しました。アメリカ人と日本人の乗客はそれぞれの言葉が流暢なガイドさんの案内で国境線近くまで到着 近くは鉄条網に囲われていました。北朝鮮との国境の北緯38度線や地下トンネルのそばまで行くと バスの中に韓国の兵士が入ってきて パスポートと顔写真を見比べられ 写真撮影禁止 指差し禁止 不安材料満載でした。 (写真は北朝鮮と韓国の軍事境界線)
国境では小高い山道を登るということなので 私は疲れていたのでバスに一人残り 北朝鮮が見えるところまでは行きませんでした。娘の話では 展望台から見渡せる所からは 北朝鮮の農場で働いている人たちが見えたということです。
ホテルへの帰途 ソウル付近では尹大統領に対する大規模なデモがあり バスが渋滞に巻きこまれ途中で降ろされました。ホテルには地下鉄で帰宅しました。若い人たちはもう一度夜の街に出かけ深夜1時まで買い物 でも私は疲れて寝てしまいました。
3日目は朝遅くホテルをチェックアウト 空港に着く前に参鶏湯(サムゲタン)を堪能しました。 (写真は土鍋の中に一人前 鶏一羽の参鶏湯)
夜7時半の飛行機に乗り 娘の家に着いたのは夜11時過ぎ 3日間で3万歩近く歩きました。 食べ物はどれも美味しく 今度行くときはハングルを読めるようにしたいです。 (入居者・及)