cocoせせらぎに暮らして     2026・3・31

 臨床宗教師とは? 

2026・3・31

cocoせせらぎもその一員であるグループリビング全国協議会から「臨床宗教師とは?」という聞きなれないテーマの講演会のお誘いがありました。zoomで参加してみることにしました。

cocoせせらぎでは2023年から2024年にかけて 「せせらぎで最期を迎えることは可能か」という勉強会を入居者同士で10数回行い 最期を迎えることについての介護・医療・遺言・葬式など具体的なことは学びあいました。                              でも「死」そのもの 死への恐怖とか悲しみ苦しみなどということは なかなか話し合えませんでした。

zoomでは 東日本大震災後の仙台で臨床宗教師という資格をもち ボランティアで死にゆく人の傍らで話を聴く高橋悦道さん(住職)が話されました。

『岡部隆さんという宮城県の終末医療のパイオニアであるお医者さんが 私に「医者は痛みのコントロールはできるが 人間そのものの心の痛みを癒すのは難しい。死を前にした患者に医者はなにもできない。そこにどうして宗教者が出てこないのか?」と言われた。岡部医師は「その人の人生を含んだ死にたいしては 医療以外の視点からの学びも必要であること」を強く訴えられた。

大震災のあと仙台で 宗教団体 教育機関 心のケアの専門家が集まり 医療の力だけでは及ばない領域に宗教者が手をさしのべるための組織を作った・・・倫理綱領も作り 職域を明瞭化し 専門職としての臨床宗教師(欧米ではチャプレンと呼ばれる)を養成し資格を出す組織。現在 全国で211人が臨床宗教師に認定されている。

宗教者であるが 布教・伝道・営利を目的とせず 医師・看護師・介護現場などの求めに応じてチームを組んで おもに被災地・病院・施設などの現場で 死の悲嘆と向き合い宗教的なケアを行う組織ができた。

「毎日寝てるだけというのは辛い」「安楽死したい」「娘に会いたいのに会えない」「もっと夫とたくさんの思い出を作りたかった」「自分にはあと一年しかない・・・若いのにどうして俺が?」「家族と別れるのがツラい」・・・などなど たくさんの声。

臨床宗教師は死を受け止められない心の状態 怒り 後悔 悲しみ・・・医療だけで関わるのが難しい死の場面で 話し相手になり 吐き出したいことを聴く。                その経験から 死にゆく人・残された人 両方にとってケアになるのが “暖かな死生感(観)・死後感(観)” であることが分かってきた。

死にゆく苦しみの中からなんらかの安らぎを得ること・・・それを共有すると 残された家族にとってもケアを行う看護師やヘルパーにとっても 心の支えになるような暖かな死生感。それはどんなものか。

”最愛の人と再会できると思って旅立つ人”   ”思いを込めて作った数珠を家族に渡して側にいるよと伝えた人”   ”人は死んでも離れ離れでないし いつも一緒だよと教えてくれた人”   ”向こうに逝ったら楽になると安心を与えてくれた人”・・・私は たくさんの人に出会って 暖かい死生感というものを知った。

このような暖かい死生感を得るには どうしたらいいか。それは死をタブーとしないで 「人は死ぬ存在」「死は恐怖にちがいないが全ての人は旅立つ」と早いうちから考えることが必要なのではないだろうか。』と結ばれました。

高橋悦道さんはまだ若い住職さんとお見受けしましたが 震災で多くの不条理な死に向き合い また親しい医師の死に立ち会われ 医療では手の届かない心の苦しみ をなんとかしたいと一歩踏み出された気持ちが zoomから伝わってきました。

主催者の土井原さんも「全体を通じて、臨床宗教師の実践は、死に直面した特別な場面に限らず、私たちが日常の中で失いつつある”語ること” ”聴くこと” ”意味を急いで閉じないこと”の大切さを、静かに問い返しているように思われました」と講演後にe-mailで感想を述べておられました。

あー ほんとうだ 「死」についてcocoせせらぎでも お互いの心の内を”語り” また”聴いて” いけるような輪になれたらいいなぁと思いました。

「死」の地点から生きている「今」を考えることができる生物は 地球上では人間だけ・・・と山極寿一さんが言っておられましたが 今日を大切に過ごすために 私たちも考えていけたら。                (入居者・土)

ハマグリの貝殻で手作りしたおひなさま

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