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cocoせせらぎホームページ       2022・8・1

*共生 *共助 *相互扶助 *助け合い *利他***** その2      2022・8・1

『思いがけず利他』を読んで

7月のホームページで cocoせせらぎはほんとに終の住処になれるだろうか・・・だれかの看取りを迎えられるほどに おたがい助けあう仲間になれるだろうか・・・という以前からのモヤモヤを書いてみたのですが 最後にいきついたのが『思いがけず利他』という本でした。

この本が私のモヤモヤとつながるかな? と思いつつ 買ってみたのですが。。。

私は利他という言葉に 前回も書いたようにオナカのあたりがモゾモゾしてくるような 一種気恥ずかしさを感じており この本の広告をはじめて見たとき こんなタイトルの本が日本に出てきたんだー と正直びっくりしました。この言葉を知らなかったわけではないけど 今の日本の日常会話では使わないかなーと。

この本を書かれた中島岳志さんは東京工業大学の先生。同大学の「未来の人類研究センター」というところで 9名の先生方が “利他プロジェクト”を共同で進め その過程で書かれた本 ということです。未来の人類にとって 利他ってどんな意味をもつのだろうか?

この先生方は 利他に新しい時代の予兆があるのではないか・・・とプロジェクトを立ち上げたそうです。「自己責任論がはびこり 人間を生産性によって価値づけるこの社会を打破する契機が 利他には含まれている」と。

利他は読んで字のごとく「他に(を)利する行為」 利己的な行為の反対語。中島先生は これをどんどんやりましょう! と勧めているのかな と思ったら全然そうではなく よく読んでいくと私が感じていた「利他」に対する気恥ずかしさの原因のような 微妙なポイントから書きはじめられていました。

「他に利するというと ボランティア活動とか寄付行為 相手がなにか困っている時に援助・ケアなどの手を差しのべる・・・などが挙げられますが 利他的行為をする人に対して  ”意識高い系”  “偽善者” と言いたくなることがあります。

また ”善い人” というセルフイメージを得たくて の利己的行為なのでは??と言いたくなることもあります。

もう一つ 利他行為の押しつけがましさが ときに相手へのプレッシャーとなって ” お返しをしなければ “ という負債感や あげる人・もらう人という上下関係 もしくは支配・被支配の関係ができあがっていくこともある。」

中島先生は今の日本を見渡してこのように分析し これらを利己的な利他と呼びました。「このような利己的な利他によっては ほんとうの利他の循環は起きない。利己的なメッセージ付きの贈り物は やはり不愉快です。これがいずれ私に利益をもたらしますように と暗に言っているような行為を受け取っても 利他の喜びはおきません」と。

では人のためになにかするとき 偽善とか負債・支配・利己性などをこえて 本当の利他にたどり着くには? 中島先生は利他の本質には「思いがけなさ」があると考えました。落語「文七元結」の博打にはまった腕のいい職人(根っからの善人でも   模範的な人間でもない 困り者の長兵衛さん)が人助けをする話や 親鸞の言葉 ヒンディー語の与格構文 染色・陶芸・料理の世界などを例にひいて「思いがけなさ」を説明しています。IMG_0001

(せせらぎの3階から見た6月の朝焼け)

偶然通りかかって 身が動いてしまって ついやっちまった・・・意図したのではない 意思の外側からやってくる不可抗力な業 どうしようもないもの 向こうからやってくる行為・・・それが利他だというのです。

向こうからやってくる・・・褒められたいからやるのでなく ついやっちまったの世界。これを利他とすると ついやっちまった行為でも 周囲はやはり褒められたいからだと思うかもしれない。「ここまできて見えてくるのは ある行為が利他的になるか否かは 事後的にしかわからないということです。与え手が利他だと思ってやった行為であっても 受け手にとってネガティブな行為であれば ありがた迷惑というものです。つまり利他は与えた時に発生するのではなく 受け取られた時にこそ発生するのです。その行為が利他的なものとして受け取られたときにこそ 利他が生まれるのです。」

ここを読んだとき 私はハッとわかりました。自分が利他と思って ついなにか手助け的なことをやっちまったとき その時には判断できないけど 受け手が後でそれを利他だと思ってくれたら それは利他だ。相手が利他と思わない可能性もあるけど 利己:利他の確率は半々! 判断は相手にまかせて「人の目を気にしたりせずに いいと思ったことはやればいいんだ」と私なりの理解をしました。

前回「世界人助け指数」で日本は最下位だったと書きましたが つまりこの国には人助けのいい受け手がいない 人の好意をうまく受け取れる人が少ないということかな。。。

いまの日本で援助の与え手になることは断然簡単だが 受け手になることは断然ツライ と私自身も感じていて・・・つまり私もうまく親切な行為の受け手になれない人間なのだと自覚するのですが・・・その答えもここに見つけることができました。

「利他は与えた時に発生するのではなく 受け取られた時にこそ発生する」のだったら 相手の親切な行為をありがとうと受け取ることこそ 利他なんじゃないか・・・と。

看取りのシーンを想像してみて 仲間がもし援助してくれたら ただただ「ありがとう」と言って受けとれるか?? このことを次に書いてみたいと思います。        (土)

cocoせせらぎホームページ  2022・7・21

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土用の丑の日

せせらぎの夕食は各スタッフさんがそれぞれ腕をふるってくださって 満足していますが

土用の丑の日は ちょっと贅沢にウナギにしようと いつ頃からか慣例になっています。

物価高の今年は はたして国産の美味しいウナギを食べることができるか? 入居者が10人揃ったのだし 是非!と思い 食材費を捻出しました。

スタッフのWさんは 何軒ものお店をまわって これぞというウナギを探してくださり 準備に余念がありませんでした。

「器も味の一部ね」と 百均でさがしてきた鰻屋さんそっくりの蓋つきの黒い器で「鰻重」が食卓に並び Wさんのユーモア溢れる演出に みな大喜びでした。

ふわ~っとしたウナギの味は格別で Wさんに感謝です。

これも平和であればこそですね。                   (三) 

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鰻重の写真を撮る・・・などと思いつく暇もなくパクついてしまいました すばらしい鰻重をお見せできなくて残念!        これはWさんのある日のデザートです。

cooせせらぎホームページ  2022・7・20

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*共生 *共助 *相互扶助 *助け合い *利他* * * * * *  

こうやって言葉を並べてみると なぜかオナカのあたりがもぞもぞしてくるような居ごこちの悪さを感じるかもしれません。今この国で これらの言葉は遠慮がちに存在しています。大きい声で言えないので 小声でちょっとついでに言ったみた・・・みたいな後ろめたさを感じながら言う言葉?といったらいいでしょうか。                             なぜそうなってしまったのだろう? IMG_0005

その答えを 6月半ばの新聞で見つけました。日本は「世界人助け指数」という国別ランキングで 114の国・地域の中で最下位にあるという記事(英国の慈善機関チャリティーズ・エイド財団調査2022)。世界中で一番 助け合いの下手な国民らしいです。              政治学者の中島岳志さんは 「この調査結果は 自己責任論・小さな政府論(緊縮財政と自助努力論)・生活保護バッシングなどにいきついた戦後民主主義のあだ花ではないか」と解説していました。

今回「共生」などのちょっとややこしい言葉をとりあげたのは 今わたしたちが住んでいるcocoせせらぎが これらの言葉と真正面に向き合わなければならないのかな・・・というタイミングにさしかかっていると思うからです。なかなか荷の重いテーマなので 1回ではまとめきれず2回、3回になるかもしれません。IMG_0019

現在のcocoせせらぎは 10人全員が健康に大きな問題がなく それぞれ自由な時間を楽しみ 夕食のときに集まってお互い「元気だね」と確認しあう そんな生活が続いています。これがずーっと続くといいね と言っていますがそんな訳はなく かならず5年たたないうちにこのバランスが崩れることは みなの暗黙の合意です。自分が一番のケースになるかも とみんな自覚しています。

その時がきたら 病気の種類 重篤さ 一人一人の考え方によって

①いろいろ面倒なことは考えないで 介護付き有料老人ホームなどに移る という人

②介護ヘルパーさんやまわりの人たちの助けを借りながら 最後まで馴れ親しんだcocoせせらぎで過ごしたい人

の二つに分かれると思います。

①を選ぶ人のために 現在この周辺にある施設の見学ツアーを計画していて いざという時の心づもりができるようにしたいね と言っています。

②のケースを選んだとき 共生 共助 相互扶助 助け合い 利他(利己の対義語)などの言葉がテーマとして立ちあがってくるわけです。IMG_0020

cocoせせらぎで最後まで過ごしたいと望んだ場合 どんな場面が想像できるだろうか・・・認知症かもしれない 重篤な内臓疾患かもしれない 大怪我などの後遺症 もしくは老衰など 私たちにとって未知の世界・・・たぶん訪問医療のお医者さんとも相談しながら 訪問看護・訪問介護の助けを最大限お願いして過ごすことになるでしょう。

さいわいにも歩いて10分のところに地域医療に熱心な先生がおられ 重い病気の場合 月極契約で24時間訪問医療を受けることができます ラッキーです **                                                           歩いて15分のところにcocoせせらぎ開設以来ずっと相談にのってくださっている非常に良心的な介護事業所があり cocoせせらぎならヘルパー派遣で十分看取りまでできる と言っていただいています   超ラッキーです***

このようにラッキーが重なっているcocoせせらぎですが やはり医療と介護の隙間を埋めなければならない時間が出てくる。小さな小さな隙間 でもそこへのヘルプがなければ居つづけることが不可能になるような大事な隙間・・・それをどうやって埋めたらいいでしょう。

有償ボランティアであるスタッフさんから有料サポートを受けることができるかもしれない ライフサポーターさんの勤務時間内ならお願いできることもあるかもしれない しかしおたがいの日常を一番よく知っていて 精神的にも頼りになれるのが仲間ではないかと気づきます。このとき私たちは「共生」とか「助け合い」という言葉に向き合うことになります。

今でももちろん “自立と共生” が看板のcocoせせらぎ お茶を入れてもらう・ご飯をよそってもらう・花を生けてもらう・戸締りを気にしてくれる・親しい同士で病院につきそう などなど 小さな仕事を自主的に分け合いながら 助け合いながら生活しています。             しかし元気なときに助け合うのと 人生の最終局面の看取りに近い時間を共有するのでは だいぶちがうかもしれない。                                  一番のちがいは 人生最後の場面ではおたがいに助け合うのでなく 助ける行為をする人とそれを受け取る人にキッパリ分けられ 立場が逆転することはなく いつかお返し! ということも叶わないということです。

また私自身の想像では 助ける行為をする人になるのは断然たやすく 受け手になることは断然つらい と思うのです。そんなことをつらつら考えていたとき『思いがけず利他』という本に出会いました。利他とはなにか・・・ そのことについては つぎの機会に。

cocoせせらぎで看取りは可能か・・・私たちは挑戦しつづけていきたいと思っています。                            (土)IMG_0021

せせらぎ遊歩道で草花の世話をしていたときお知り合いになった女性からサボテンをいただきました。7月はじめのある日 見る間に花の茎が立ちあがり次の日に咲いて1日で咲き終わりました。

 

 

cocoせせらぎ ホームページ  2022・6・20

ミニ菜園となりのミニミニ菜園  

 

食堂の前にはボランティアK氏によるミニ菜園があり、年間を通して多種類の野菜が育っています。

春先の小カブにはじまり、今はキューリ,ナス、トマト,ピーマン、枝豆、ゴーヤ、里芋などが少しづつ実り、また葉を茂らせています。冬にはみごとなキャベツも収穫できるのです。

収穫野菜は入居者の夕食にスタッフの方が活用、もぎたて超新鮮の季節の味で食卓を賑わせてくれています。

けっして広いとはいえない菜園が効率よく、眺めても楽しく美しく、さまざまな話題も提供してくれています。

その素晴らしい菜園の横の、大きさにして畳1/3畳くらいのミニミニスペースを、今回使わせてもらえることになりました。

やはり食卓を賑わせてくれる作物がよいと考え、さっそくTさんに自転車を借りて元住吉商店街まで出かけ、パセリと青シソの苗と土,肥料を購入しました。

一つのポットに数本の苗が生えていたので、根分けをして植えてみました。

よくばりすぎたのでしょうかパセリはしょんぼりして息絶え絶えですが、青シソは私の多大な期待にこたえてくれ、順調に育っています。

そうそう、庭の隅で冷遇されていたヒョロヒョロニラも植え替えました。何回も収穫できるとのこと 楽しみです。

青シソは一度収穫できました,きざんで薬味に変身,いい香りでした。IMG_0009

初収穫にバンザイ✌️✌️

久しぶりに土に触れて気持ちが和みました。

パセリ苗を猫の額の裏庭に 梅雨の合間に一仕事せん       (石)

 

せせらぎ遊歩道で咲いたクレオパトラというアジサイです。IMG_0010

 

cocoせせらぎホームページ      2022・6・6

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せせらぎ遊歩道の ”なつかしい草花” 苑 

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「苑」といっても私たちのつくった苑は 幅1~2メートル 長さが15メートルくらいの遊歩道沿いの細長い小さな空き地です。そこに昔から日本の街中や野原に咲いていたなつかしい草花を植えていこうと思いたったのは 今年の春。 IMG_0075

ことの発端は私のスミレ愛    せせらぎに移ったときにも大好きなスミレを前の家から持ってきて ベランダのプランターで咲かせていました。せせらぎの裏庭にも植えてみたのですが 土が合わないのかすぐ消えてしまいます なかなか気むずかし屋のスミレ。

部屋のベランダで大繁殖したスミレの株を 去年の秋に思い切ってcocoせせらぎの目の前の遊歩道脇に植えてみました。朝晩水やりを欠かさず 寒い冬も越して今年の春 なんと濃紫のスミレの小花が うつむき加減に葉の陰にかくれるように咲いているのを見つけたのです! いっしょに植えたタツナミソウも白い花を小波のように揺らし ジュウニヒトエも元気に花穂をだしました。

スミレはここが気に入ったのかな? ということは他の野草もこの空き地で育つかな? よし  ”なつかしい草花” 苑を試してみよう!                                                                                                            ということで春のあいだ毎日 せっせとせせらぎの裏庭から遊歩道脇へ いろんな草花を移していきました。ベランダからも移しました 80を過ぎて私にもし何かあったときにベランダに訳のわからない鉢が並んでいたら とても迷惑ですから・・・ノコンギク ワスレナグサ ホタルブクロなど どんどん。

これまでも目の前の遊歩道脇が荒れているなぁと気にはなっていたのですが なにやら忙しく せせらぎ入居6年目 念願の “ 趣味の園芸 “ をはじめることになりました。           花屋にならんだチューリップ ユリ カーネーションなど 色鮮やかな栽培種の花ももちろんきれいですが 野山や街中でそっと咲く野草の美しさ! 土と空気と水と太陽の光に守られて いちばん合った場所で一所懸命咲いている山野草に出会うと 何か語りかけてくるような・・・

「花は 見える世界と見えない世界をつなぐ 世界で一番かんたんな魔法です。すべての花や木に妖精はいます。」これは最近出版された『花を飾ると 神舞い降りる』という本の広告コピー(本は買っていないのですが~~笑)。たしかに遊歩道で咲きはじめたホタルブクロなどを見ても 色も形も不思議! 神の手による魔法!としか思えません。その花の最高の一瞬を切り取って花瓶にさした一輪の野の花には まさに神が舞い降りて 見る者にエネルギーを与えてくれます。

初夏に向けて「季節ごとに花が咲くといいな~」とか「オジギソウなんかあったら子どもも楽しむかもしれない」などと言っているうちに “苑” がだんだん広がっていきました。それを見てカフェ・ボランティアの方が「私は民生委員をしていたから ここの会長さんをよく知っているのよ。その方に一言 cocoせせらぎが遊歩道に植物を植えるから と断っておいたほうがいいかも・・・」と言って すぐに電話をかけてくださいました。「昔なつかしい花を植えるなら 散歩で通る人も楽しめるし いいことだ」と会長さんが言われたとのこと。ありがとうございます! 草花苑がんばります!

会長さんが言われるように 散歩しながら草花を愛でていく人の多いこと 遊歩道にしゃ がみ込んで作業していると「これはなんていう花?」「同じのが家にあるんだけど名前がわからなくて・・・」など声をかけて行かれます。そうだ植物のそばに名前をつけたらもっと楽しいかも ということでまたカフェ・ボランティアさんに相談すると 竹林からちょうどいい大きさに切った竹IMG_0004の名札を数十枚 用意してくださいました。それに防腐剤やニスを塗って 写経の先生である我がライフサポーターさんにすらすらときれいな字で 草花の名前を書いてもらいました。名前をつけるとますます立ち寄って見ていかれる方が増えました。

「何やってるの?」と小学生の男の子。「お花が喉が乾いたって言ってるから お水あげてるのよ」というと「僕もやりたーい!」と長柄ヒシャクで江川の水をいっぱいに汲んでヨタヨタしながら水をやってくれます。                                 同年輩の女性が「これは何色のスミレ?」と聞かれるので 濃い紫だと言うと「うちの庭に薄紫のスミレがいっぱい増えてるの。要りますか?」「嬉しい!ぜひ分けてください。」すると その日のうちに大きな株を二つ持ってきてくださったり・・・                   楽しい出会いがたくさん。そしてうしろの江川せせらぎではカモの子育て時期で コガモたちがお母さんを呼ぶピーピーという鳴き声が聞こえてきます。                   まるで地上の天国 花など相手にしていられる平和に感謝。          (土)

 

cocoせせらぎホームページ  2022・5・5

夕食後の散歩を楽しんでいます!!

昨年の夏ころから数人でせせらぎ遊歩道の夕方散歩を始めました。              きっかけは、誰ともなく夕陽が綺麗、茜色の雲の変化が素晴らしいという声があがり、気温も下がり過ごしやすいので夕食後にたまには歩くのはどうかなと散歩グループができたのでした。

入日が薄れて星や月が見え、涼風が吹くのは本当に気持ちがいいものです。スタッフさんによる手作りの夕食をいただいた後の腹ごなしにもなっていますし、運動不足解消の一助にも有効です。

せせらぎの流れは川崎市が下水道を処理して矢上川に流しているのですが、かなりきれいです。小魚や小さなザリガニもいるようで、先日は白鷺がザリガニを捕まえて食べているのを見かけましたし、土日には親子連れが網で小魚を捕まえています。何がいるのと聞くとグッピーとのことにビックリです。                                       遊歩道に沿って街灯が灯り、自転車走行も禁止になっているので私たちも安心して歩くことができます。

夜の散歩の楽しみは、せせらぎの両岸に植えられた草木の変化を愛でることでしょうか。歩きはじめた夏は木々の緑が生い茂り、この木は何だろうとああでもないこうでもないと推測していたのですが、花の季節になると楽しみは倍々ゲームになりました。季節ごとに咲く花は衰えつつある私たちの五感を刺激してくれています。

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圧巻はやはり春、せせらぎの春一番は河津桜でしょうか。固い蕾がピンク色になり一斉に咲きだすさまは、夜間は幻想的です。白梅紅梅,辛夷、桃、そして染井吉野と次から次へと咲き競って私たちを楽しませてくれます。名前がわからないものも多くあります。どれだけの木があるのか,ネームプレートが付いていたらいいのにねーといつも話しています。

木々の変化に目を奪われますが、近隣の住民がたくさんの草花のお世話をしておられますので、 それを見るのも楽しみの一つです。個性あるミニ花壇作りをしているグループもあります。小さな花に目をとめているうち野草の花の可憐さにも気付きました。昔は原っぱでよく見かけた花も生息地が減って見なくなったなーと懐かしさが込みあげてきます。

せせらぎ疏水の春の一大イベントはカルガモの誕生と成長を日々身近で見られることです。今年はすでに三組が誕生しています。それぞれ十数羽の雛が誕生しますが自然界の厳しい生存競争を勝ちぬくのは大変。でもその成長を毎朝夜明け前から毎夕暗くなるまで見守る人たちがいるのは驚きです。人間の生活地域で生まれた鴨は人に守ってもらってるのを知ってるようにのんびりしています。私たちお散歩グループも毎夕の出会いを楽しんだり、見守り隊のお話を聞いたりして成長を見守っています。母鴨が羽を膨らませて眠る小鴨を守るさまはいろいろ考えさせられます。

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歩いてちょっとお喋りもしての散歩を入居者仲間は暖かく見守ってくれています。時には「不良少女! 夜遊びはいけないよ」とか「徘徊とまちがえられないように」などという言葉とともに送り出してもらっています。

 厳寒期はお休みしたもののほぼ毎日歩いているので『継続は力』とこれからも続けたいと思っています。                       (石)

cocoせせらぎホームページ    2022・4・20

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佐々木 炎先生 講演(第2回) 『 認知症の理解 』    

昨年秋に第1回目『共生とは?』を話していただいた頃は せせらぎ遊歩道にサクラの木の葉がたくさん散っていました。うまく依存してこそ自立が可能だということ 依存する仲間の大切さ うまく共生するにはどのような関係がいいか 笑顔や挨拶を交わすことの大切さ などなどたくさん学びました。

では次に 共生が難しくなるんじゃないかと思われる認知症について学んでいかなければ ということで第2回目・・・ せせらぎ前の歩道にサクラの花ふぶきが散る中 ふたたび佐々木先生に来ていただきました。

IMG_0005 「みなさん 自分は認知症の心配はないと思っている方 手を挙げてみてください」と先生が切り出されました。みんな あれっどうだろう と顔を見合わせました。

私たちは認知症と診断される25年も前から 脳萎縮やアミロイドβの蓄積などによって進行がはじまっているそうです。せせらぎ入居者の平均年齢80~84歳の枠でみると 25~30パーセント つまり約3人に一人は認知症という統計を示されました。

「この社会は認知機能がしっかりしていないと認められない社会になってしまっていますが 実は認知症になることが当たり前なんだ ということを前提に社会を考えていかなければならない時がきています。老いに向かう人間として 認知症は人生の終末に現れる自然で正常なできごとです。時間も少しずつずれて 場所もずれていきながら それを超えた世界に旅立っていくのが人間の姿です。

 

認知症の危険因子としてあげられるもの 

・遺伝的素因

・教育期間の短さ(これは単に学歴ではなく知識・情報を得て自分で考える力。寿命も学

歴とお金に関係していると言われているが 認知症もそうらしい)

・難聴(難聴によるリスクは高く 通常の2倍から3倍。聴覚刺激が少なくなると神経活

動が低下し 脳の構造変化をもたらす)

・高血圧  糖尿病  肥満  喫煙  うつ など

・運動不足

・社会的孤立(孤独度が高い人が認知症になるリスクは 低い人の2倍以上)

・大気汚染  など

 

認知症を予防するには 

難聴対策・食事・運動・認知課題(歌う しりとり 計算)・孤立しない、などがあげられます。また運動しながら認知課題をやる など二つを組み合わせると もっと効果が上がると言われています。

IMG_0014                         せせらぎの庭に咲いた春の花てんこもり

せせらぎのみなさんでやれること それは

①笑顔を向けあい

②コミュニケーションをとることでおたがい安

心感を抱き

③褒めあうことで脳が活性化し

④それぞれ役割をもつことで生きがいを感じ

⑤ひとつひとつ成功体験を積み重ねていく

そんな共同体を作っていくことではないでしょうか。①から⑤を一気にできるのが 例えば『一緒にご飯を作る 一緒に掃除をする』というようなことです。」

先生は「赤ちゃんは1日に何回笑うでしょう?」とクイズを出され 50回? 100回?と考えているうちに「なんと400回です! お母さんが笑うから赤ちゃんも笑う 赤ちゃんが笑うからお母さんも笑う というようにお互い関係を深めています。一日笑うことがなくても口角を上げるだけで脳は活性化しているそうです」と特に①の笑顔の大切さを話されました。そして③の褒めあうことについて「誰かに褒めてもらうと 白い粉に負けないくらいのドーパミンが脳の中で出て よし、やるぞ!という気になります」と。

はっきりした声で 分かりやすい言葉で ユーモアたっぷりの「認知症理解最前線」のお話を一時間あまり・・・ 私たちは佐々木先生のお話のあいだ 赤ちゃんの1日400回の笑顔に負けないぐらい笑いました。

先生との一問一答

「母が最後のころ認知症のようになって 私のことを「お母ちゃん」と呼ぶことがありました。」

ーーーお母さんというのは安心の代名詞のようなもので たぶんとても安心した状況だったのだと思いますね。

「また私たち3、4人で夕食後 この川のところをおしゃべりしながら散歩しています。週に2回 体操もしています。体操の後 you tubeで脳トレも。

ーーー散歩 いいですねー! ただ徘徊にならないようにお願いしますよ(笑)。徘徊といって も 最近はすぐに見つかります。それだけ社会の認知症に対するネットワークの網目が密になってきていますね。

「姉が今 かなり分からなくなっている状態で 私もそのようになるのではと覚悟しています。」

「どのようになったら認知症を心配しなければならなのか・・・病院へ行くのはいやです。認知症と言われるかと とても不安です。」                         「え、あなたはそんな感じ全然ないと思うけど。どんな時そう思うの?」

ーーーそこのお二人はお互いに見守りあっていけば? いい関係じゃないですか。      「じゃ いっしょにがんばりましょう!」

「80代の30%が認知症というお話でしたが それは人の数じゃなくて 80代の個人の脳の中の30%が認知症になっている という考え方も当たっていますか?」

ーーーそれは違います。診断された人が30%いるということ。心配に思ったら物忘れ外来

とかより まずかかりつけのお医者さんに相談するといいです。ちゃんとスケール

があって それによって診断が出ます。

「私は毎日 顔を洗って鏡を見るとき 笑うことにしています。」

ーーーあ~ それはとてもいいことですねー 毎日脳が活性化してますよ。

認知症研究の権威で ご自身が認知症であるとカミングアウトされた長谷川和夫先生が「認知症は死の不安を和らげる神の恩寵である」と言われて旅立たれたというお話にも 私たちはとても勇気づけられました。自分がもし認知症になったらどうしよう、、、せせらぎでお互いに助けあってどこまで行けるだろうか という悩みを共有している私たちは 先生のお話に真剣に耳を傾けました。あっという間の一時間半・・・快くお話しに来てくださった佐々木先生に感謝!!                         (土)

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ローズマリーの花がこんなにきれいだったとは

cocoせせらぎ  2022・4・10

cocoせせらぎホームページ  2022・4・10

3月1日はカルガモの赤ちゃん誕生記念日です

河津桜が咲きはじめた2022年3月3日、私たちはサロンと食堂に分かれてひな祭りパー ティをしていて、銚子丸のおいしいチラシ寿司をいただき、終わったあとせせらぎ遊歩道に出てみると、目の前が人だかりで、カルガモの赤ちゃん11羽がかえっており、スイスイ泳いでいた。どうも3月1日に生まれ、3日目らしい。

私は昨年8月に入居したので、江川せせらぎのカモの誕生を見るのは初めての体験。なんて可愛いんだろうと感動。しばらくスマホで撮影しながら、眺めていた。

この日以来、外出してヒナを観察するのが日課となる。3月5日、ヒナは8羽と3羽に別れ、その3羽は親から離れ、遊歩道休憩所の横で泳いでいた。

8日、カモの赤ちゃんは8羽に減っていた。3羽はカラスに襲われたのだろうか。市の工事で江川の水が抜かれて、カモの赤ちゃんは小川のはじっこでひとかたまりになって一箇所にじっとしていた。いつも夕方現れるおばちゃんたちは、水を抜く工事がはじまってから、カモの食べるものがなくなり可哀想といっていた。

3月9日、2組目のカルガモの赤ちゃんがかえっており、母ガモのお腹の下にもぐりこんでいるので、数えることができなくて、あとで泳ぎ出したのを数えたら12羽だった。

生まれたてのヒナは、どうやって生まれた場所から石の上の平らなところに移動できたのだろうか、と真剣に考えた。スマホで調べると、母ガモは26日ほど抱卵し、かえったヒナはすぐ歩けるそうだ。なるほどなー。

いつも会うおばちゃんが竹やぶに向かってチビ!チビ!と呼ぶと竹やぶがザワザワと動く。またある日おじさんが水面にいたカモに向かってチビと呼びかけると、道路にいたおじさんのところへ飛んでいき、何かエサをもらったようだ。人の声がわかるらしい。おばちゃんの話によると、この母ガモは生まれたとき迷子になり親からはぐれたのを、おじさんが育てたそうだ。人間の声がわかるんだ~と、また一つ賢くなった。

今では12羽が離ればなれにならないように、メスとオスが2羽でヒナを取り囲んでいる。近くで泳いでいた一組のカップルが急に飛びたっていくと、ヒナたちの母ガモが追いかける。どうも威嚇しているようだ。

3月20日に12羽いたヒナが、21日に8羽になった。おばちゃんたちの話だと、明け方の4時半ころ、カラスが襲うらしい。

3月1日に生まれたカモの親子は、4羽で3月27日に下流の矢上川に移動したそうだ。おばちゃんが写真を見せてくれた。道路を渡り、ヒナが崖を降りて、無事川に戻ったそうだ。11羽から3羽になってしまった母ガモの心境は如何だろうか。

3月31日、2組目のカモのファミリーは8羽のまま随分大きくなり、母ガモの半分くらいになっていた。大きくなるの早いなぁ。無事全員ひとりで飛び立てるのを楽しみにしている。約2ヶ月かかるらしい。

IMG_0006 IMG_0051                   姿のうつくしいコブシの木と満開の河津桜と

ヒナとともに河津桜は満開で楽しませてくれ、散策する人々は癒され元気をもらい、この平和な環境に感謝している。カップルのカモが何組かいるので、これからもヒナをかえし私たちを楽しませてくれることだろう。            (及)                   (カモの赤ちゃんの写真をたくさん撮ったのですが 動画ばかりだったのでここに再現できず  残念です!)

 

 

岩波ホールへ

3月も末の食事どき「岩波でやってる『金の糸』っていう映画 おもしろそうだけど 見にいかない?」という声が仲間の方から。あっ、そういえば 岩波ホールがもうすぐ閉館になるという記事が新聞に出てたなー 岩波ホールにお別れに行かなくちゃ と思いました。「みんなで行きましょう!」という声があちこちから出て・・・  合計8名が参加ということになりました。

神保町方面に行ったことがない人もいて 自称案内人2名による2グループに分かれて それぞれの ”おのぼりさん小旅行計画” がすぐに立てられました。あまり早く歩けない方が多い4名のグループは 友人が出してくださる車で cocoせせらぎから岩波ホールまで送り迎えという豪華な計画。

もう一組の私たち4人はバスで武蔵小杉まで出て 地下鉄三田線に乗ること40分 時間はかかるけど乗り換えなしで神保町に着きました。20代のころ水道橋の近くで働いていたので懐かしい岩波ビル・・・その10階が岩波ホールです。    

コロナもあってお客さんはまばら 三密にならずに座れそうで安心です。ロビーで待つあいだ  高野悦子さんが情熱をそそいで作りあげていったこのホールの空気を吸いこみました。1974年から上映された映画のポスター全部が壁一面に・・・圧倒される数 そして内容。私が30代のころ開館し なかなか来れなくてほんの数%しか見ていないけど ポスターを見るかぎり 興行成績をあげる映画ではなく お金は稼げなくても日本人が見ておくべき映画・・・を高野さんは選ばれたのだと思いました。

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150席ほどのゆったりとしたホール内

たしか見たなと思われる映画のチラシを目で追って みると「父と暮らせば」「ハンナ・アーレント」「八月の鯨」「ガンジスに還る」「冬の小鳥」「最初の人間」「胡同の理髪師」「上海家族」「おばあちゃんの家」「山の郵便配達」「コルチャック先生」など あ、この映画は〇〇さんと一緒だった となつかしく。                                上映中のジョージアの91歳女性監督作品『金の糸』は ソヴィエトの支配から解放されたジョージアの 老女二人とかつてつきあいのあった老詩人が 過去の葛藤を金継ぎのようにつなぐ物語でした。

終わってのお楽しみはロシア料理店 ネットで調べた地図をたよりに古本屋街を行きました。真新しいビルの間にはエンピツのように細くて長い古ーいビルが立ち並び その一つの狭い急な階段を上がって めったに来れないので他の3人に付き合ってもらって책거리韓国書籍店にも寄り・・・さらに裏道を行くと昭和の薫りただよう「さぼうる」喫茶店が・・・昔せまい椅子に座って食べたっけ 山盛りの庶民的なナポリタンの味・・・ 

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「さぼうる」も岩波ホール閉館と同時に閉じるとのこと。デジタルの進んだ時代に このようなレトロな岩波ホールやさぼうる喫茶店は時代遅れなのでしょう 残念至極。。。

やがて「ろしあ亭」を探しあて さっき見た映画を思い出しながらボルシチ・ピロシキ・パン種で蓋をして焼いたマッシュルームシチュー・生ビールなどをいただいて満足の夕食。ビールのおかげかウトウトしながら地下鉄・タクシーを乗り継いで せせらぎに帰りつき 平均年齢80歳はゆうに超えた一行の 神保町探訪は無事終了です。(土)

 

 

 

 

 

cocoせせらぎに暮らして     2022・3・10

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梅 見 行

IMG_0009 前週までシベリア寒気団に掩われていたので、春は名のみの風の寒さ。2月の末日から一気に気温が上がって、せせらぎ遊歩道の河津サクラが五分に咲き、気の早いカルガモの雛が母親の翼の中に頭を突っ込んで暖まっていました。

ヒトも同じ。ましてやコロナに行動を抑えられてきたので、とにかく打ち揃って遊びに出掛けたい、出掛けようと思うようになっていました。

COCOせせらぎ住人六名が今こそ春と今年初めてのグループ散策に出掛けました。行き先は日吉公園です。事前に花の様子を二回下見の上で、3月2日花曇りのような陽光の下、11時半急ぐことなくゆったりと出発しました。丘の上の市立井田病院までは市営バスを利用して無理なく高度を稼ぎました。あとは平坦な道を左側に矢上川を見下ろし、小杉の高層マンション群の遠景を望みながら、おしゃべりしている10分足らずに公園のうえ入り口に着きました。 

入り口の左手に紅梅と白梅の枝垂れが早速出迎えて呉れました。右手には紅梅と白梅の幹が根元から互いに絡み合って、恰も一つの木に白と紅の花が咲いているかのような古木があって、梅香の塊が微かに漂って嗅覚をくすぐる錯覚があります。それを過ぎて坂を下るに従って、ほぼ八分咲きの白梅の高木が続きます。旧家の大きな梅林であったところは、平坦に整地され、家族連れの子どもたちが二三組遊んでいました。

私たち六人も一角にシートを敷き陣取って弁当を使います。有志が今朝早くから用意してくれたご馳走です。勿論全員完食。やっぱり花より団子でした。 

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(これがこの日の野外ご馳走)

下り坂とは言え、歩いて帰るには距離があるので、井田病院に戻って、来るときの反対のバスに乗って帰りました。因みに帰り道の全行程を歩いた見栄張りの私の歩数計では、6200歩、4.2㎞でした。難点はトイレです。往復とも井田病院を利用することがお勧めです。(ik)

       梅の木に二羽の目白が飛び交いて蜜吸う    たびに花びらの舞う (F)

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cocoせせらぎホームページ   2022・3・1

お雛さまの顔を 今までこんなにゆっくり見たことがあっただろうか・・・

コロナのせいでしばらく見ることができなかったお雛さまに 逢いたいという気持ちがとても強くなってきました。80歳のばあさんが と我ながらおかしかったのですが 近くの里山の雑木林が 風は冷たいのに 春の陽射しの下で明るくけむったように なんとなく芽吹きを感じさせる2月半ばになってくると もうすぐ雛祭りだなぁ 今年はお雛さまに逢えるだろうか と心がうきうきしてきます。

さっそくライフサポーターの方や理事長に 今年はお雛さまを出しますか? ぜひお雛さまに逢いたいのですが・・・と話してみると オミクロンも下り坂 せせらぎの全員がワクチン3回目を打っているし 今年は出しましょう そしてちらし寿司でも取ってささやかなパーティーをしましょう ということになりました。

飾る場所もサロンの奥ではなく せせらぎ遊歩道を散歩する方たちにも見てもらえるように 大きなガラス戸の出入り口近くにセットしたらどうだろう と案を出しました。コロナで沈みこんでいるこの時期に 世の雑事には関係なくのほほんと明るいお雛さまの顔で 少しでも地域が明るくなればという願いをこめた案・・・またコロナの時代に育つ子どもたちが行動を制限されて閉じ込もらざるを得ない今 通りがかりにでも見て気持ちが解放されたらいいなという願いをこめた案。  今までどおりにサロンの奥に・・・という意見など いろいろ出ましたが 2月半ばに 出入り口近くに七段飾りのはなやかな雛段が飾られました。

通りがかりの高齢者の方 子どもづれのお母さん 保育園のお散歩 近所のご家庭など 三々五々立ち寄ってはライフサポーターさんやボランティアの方達とおしゃべりしていかれます。前に供えてあった豆菓子やあられを「どうぞ」と差し出すと 小さい時にお雛さまが欲しくてしょうがなかった・・・とまた話題が広がります。ある年配の方は「写真を撮らせてください」と立ち寄られ「お雛さまを見ると 13回忌を済ませたけど38歳で亡くなった娘のことを やはり思い出します」と言われ 胸をつかれて言葉が出ませんでした。

そうだ 夜道からも見えるようにしたらどうだろう ぼんぼりに灯りをつけて カーテンを開けて お勤め帰りなどの道行く人にも見てもらおう! 今の物騒な世の中 何があるかわからない時代に そんなことやめた方がいいという意見もありましたが 二週間くらいの間 思い切ってカーテンを開けました。暗い夜道から見ると お雛さまのあたりだけぼーっと明るく浮きだして 夢のようなあたたかい空気が広がっていきます。この地域は安全なあたたかい地域なんだよ と言ってくれてるような空気感。

毎晩8時半頃に降りていって 今日も一日お疲れさま! と声をかけながら灯りを消すのですが ぼんぼりを消す前の一瞬 ふっとお雛さまの横顔に見惚れてしまいます。ほんのりとした灯りに 下ぶくれのまあるい顔 心配なことなどなにもないような穏やかな顔が浮かびあがっています。着物も木目込みの布地を重ねて 日本の色の取り合わせの美しさが際立っています。

そのとき 今までの人生で 何度も何度もお雛様を飾ったけど こんなにゆっくりお雛さまの顔を見たことがあっただろうか・・・とふと思いました。一人娘の幸せな人生を願ってお雛さまを出してきては飾り すぐに片付けないと嫁に行き遅れるよ との言葉に3月3日が終わるとバタバタと片付けて お雛さまの顔を娘と一緒によく見る暇もなかったなぁ まったく慌ただしく過ごしてきたなぁ・・・と。今やっと あり余るほどの時間のなかで お雛さまの顔に見とれる余裕を与えられたんだ ぼんぼりの灯りの中の可愛い顔を見ながら これぞ80歳の幸せなんだな~~ と。

IMG_0025赤い光を投げかけていたぼんぼりを消して カーテンを閉めて いつもの暗い夜道を確かめてから部屋にもどりました。お雛さまたち おやすみなさい!       (土)