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cocoせせらぎに暮らして    2022・2・7

介護事業所「ホッとスペース」を見学してきました

同じ屋根の下で暮らしていたお仲間二人が認知症で退所という経験をして 私たちは cocoせせらぎのみんなで認知症を知ろうと 数年前からシンポジウム 講演会 学習会など 少しずつやってきました。

その間 もし認知症になったらどれくらいまでせせらぎにいられるんだろう せせらぎにいられなくなったら どこか安心できる所はあるだろうか とみな心配を口にしていました。そうだ 認知症を知ることと並行して 実際を見て歩こう! ということに。

オミクロンが下火になるのを待てない・・・といった感じで まずいつもお世話になっている介護事業所ホッとスペースに見学を申し込んでみました。昨年11月に学習会で話してくださった所長の佐々木先生は 見学を快く承諾 お忙しいなか案内・説明ばかりでなく 話合いの時間も割いてくださいました。

1Fは 玄関・キッチン・広いホールで デイケアに多くの人が集まるスペース 日曜日にはキリスト教会の礼拝の場にもなります。

2Fの事務所では多くのヘルパーさんが事務をとり 経理・管理・応接の場所に。

3、4Fは各室8畳くらいの個室が14室あり 小さな居住スペースでありながら ミニキッチン・洗濯機・風呂が備えられ 高齢者ばかりでなく色々な方が入所しておられるようです。その一つの室内を見せていただきました。寝たきりで認知症でもデイケアに参加していて カーテンもベッドから自分で開け閉めできるように工夫し 介護を受けながら元気で過ごしておられる方のお部屋。「認知機能に衰えはあっても全く問題なく過ごしていますよ 夜は職員が一人もいなくなるけど 大丈夫」とのこと。

一回り見せていただいたあと 先生がざっくばらんに「どうでしたか」と聞かれました。すると一人が即答「今すぐ申し込みします せせらぎにはいつまでいられるかわからないから」と。

「そう? せせらぎは一緒に過ごす仲間がいるんだから 介護を受けながら最後までいけると思うけど」という先生の言葉から 私たち6人 いろんな意見が出てきました。

「助け合いというのがなかなか難しい。助けの手を出すことに勇気がいるし 助けを受けることにも勇気がいる状態。」

「それは、、 せせらぎは広いスペースがあるんだから 食堂にソファーでも置いて自由に集まって 親しくなる居場所を作ってみたら?」

「そうだな お互い知らないな~ 自分の生い立ちを書いて読んでもらう試みをしてみたけど・・・なかなか続かない。そういう場所を作るというのもいいですね」

「入所施設は認知症の人もOKということですが 一人で外に出ていっても本当に心配ないのですか?」

「今まで困ったケースは一度もない。出ていく人もいないし いたとしてもそんな遠くまで行って困るということはないと思いますよ」

認知症の人が出たらどうしよう・・・とcocoせせらぎという集団のこれからのあり方に恐れや迷いを感じていた私たちに 認知症の方たちと日々接しておられる先生が 拍子抜けするほどあっさりと「大丈夫!」と。そこに 認知症という症状を見るのでなく その人を見ている・・・といった人間への信頼のようなものを感じました。細身で長身 ハンサムな先生ですが 心はとても太っ腹。危険への配慮はもちろんしておられるでしょうが 管理的な施設ではありませんでした。  寒い日でしたが 先生の熱気をいただいて暖かい気持ちで帰ってきました。

これからcocoせせらぎは 認知症とともにどこまで歩めるでしょうか 手探りです。      学ぶことはもちろんつづけますが・・・仲間の認知症 自身の認知症とどのように前向きにつきあっていきましょうか・・・                           (土)

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年とるって悪くない

「そんなはずないでしょ? 生 老 病 死 という言葉があるじゃない それがまとめてやってくるのが 年とるっていうことでしょ」という声が聞こえてくるようです。たしかに生きる苦しみ 老いる苦しみ 病む苦しみ 死の苦しみ・・・どれも人として生まれたら逃れることのできない四つの苦しみ。これはお釈迦様がおっしゃる四苦で 残りの四苦(愛別離苦アイベツリク 愛する人と離れる苦しみ 怨憎会苦 オンゾウエク 憎い人、腹が立つ人と会う苦しみ 求不得苦 グフトクク 求めたものを手に入れることができない苦しみ 五蘊盛苦 ゴウンジョウク 私たちの心と体は苦しみ、この世の一切のものは苦しみ)と合わせて 四苦八苦なのだそうです。

自分が望んだわけではない(親ガチャの)環境に生まれ 学校生活にもまれ 就職して仕事にもまれ 結婚子育てしながらの仕事人生にそれこそ四苦八苦 やっと退職。生きる苦しみからちょっと解放されて年金生活に と思ったとたん 老いる・病む・死ぬ の三苦が束になって襲ってくるのが 仏教流に言う人の一生のようです。

私のつれあいは 退職してたった二年で亡くなってしまいました。仕事は 楽しんだか?といえば どちらかというと苦しいことの方が多かっただろうと思います。それを忘れようと いつも呑んだくれていましたから。家族への責任を終えて これから自由に過ごせるな~ という時に末期の肺がんが見つかり 身体中に転移していて手の施しようもなく 病む時間もたったの40日間・・・「楽しかったよ」と彼は最後に言ってくれたけど・・・ 老・病・死を40日間にまとめて経験し 逝ってしまった。。。

私はものすごく泣きました。でも愛別離苦のなかで 体の死はその人の終わりじゃないとなぜか確信できることがあったので それ以後は立ち直って 自分の「老病死から逃げる」のでなく「はじめての経験に立ち向かっていく」という前向きな気持ちになれました。 そのときふと 年をとるのって悪くないなぁ と気づいたのです。たとえば・・・

・体の方はあらゆる部品が古くなり シミシワシラガは数えきれず でもこれはDNAに組み込まれているのだから致し方ない 一方いろんな心配がなくなって今人生で一番たくさん食べたくさん眠って 人生最多体重を更新中

・「自分という車」の運転が楽になったこと 暴走したり故障したり・・・失敗しつづけてきたこの車も 自分の癖や欠陥・限界がわかって ここでギアチェンジ ここでハンドルを切る ここでストップ という具合に 自分の扱いがだんだんうまくなってきた

・すべてを自分でやろうとせず天に任せ 機が熟すまで待つことができるようになった(待ったおかげでcocoせせらぎにも出会えました cocoせせらぎは老いの正解だと思っています)

・待ったり 耳を傾けたりができるようになったら いろんなことをまっすぐに理解できるようになった

・長い間 生きる意味がわからず悩んできたが 私は私に生まれてきてよかったんだ と納得できるようになった

長い老後の時間を与えられ 今までを振りかえるゆっくりした時間をもてたからこそ 「年とるって悪くない」と感じることができたのだと。

1日の終わりの 夕闇せまるころのおだやかな空気 鳥も巣に帰り すべてのものの輪郭がぼやけてくる そんな時刻が私は好きです。最近ショパンコンクールの影響もあって ショパンの曲をよく聞くのですが 夕刻の静けさを感じさせるフレーズがたくさんあることに気づきます。39歳の若さで亡くなったショパンなのに ♪♪♪    でも早逝の人はそれなりで人生を完結している と聞いたことがあります。ショパンも人生の終わりを予感していたのかな。

今 私はその夕刻の静かな時間のなか ショパンを聞きながら老いの幸せを感じています。                           (土)

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そろそろ雛祭り cocoせせらぎには七段飾りの立派な雛飾りがあるのですが コロナで2年間しまいっぱなし。きっとしびれを切らしていることでしょう。今年は明るい日差しの中でおひなさまたちに逢いたいです。

 

 

cocoせせらぎに暮らして     2022・1・20

cocoせせらぎホームページ              2022・1・20

ホームページを見てくださっている皆さま 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ホームページの内容について ご意見 ご感想など寄せていただければ嬉しいです。

cocoせせらぎでは なるべく介護や医療のお世話にならず「自立と共生」の生活をしていくことを目指していますが ときどきそのための勉強会を行っています。昨年11月8日にお聞きした佐々木先生の講演会の様子をお伝えしたいと思います。

佐々木 炎先生 講演 「共生とは?」 

サクラの木の紅い葉がせせらぎ遊歩道にさかんに散る秋の午後 入居者をはじめ 理事長 運営委員 ライフサポーター  スタッフさんなど17、8名がサロンに集まり 佐々木炎先生の「共生」についてのお話をうかがいました。

cocoせせらぎはこれまで8年間 ”自立と共生”の理念をかかげてきましたが 改めて「自立と共生ってどんな生活?」となると なかなかむずかしい・・・ そこで介護事業所ホッとスペースで所長として長く「共生」を実践しておられる佐々木先生のお話を ということになりました。先生は介護・福祉についてあちこちで教えておられ またキリスト教会の牧師さんでもあります。

先生は「以前 うちの家内もここで介護の話をしたそうですが 実は私にとって家内はオッカナイなんです」と笑わせながら 『共に生きる共同体を目指して』というまじめなテーマの話をしてくださいました。話を進めるにあたり 私たちにわかりやすいように話の柱を立て 文字も大きくわかりやすい13頁にわたる資料を持参してくださいました。

「みなさんお若い?けど 老人向けの自立共生型シェアホームで元気な暮らしをめざしていますねー」とお話がはじまりました。

まず人間の尊厳は 体がどのような状態になっても残り それは自立によってなりたっています。自立とはなんでも自分でするということですか? そうではありません。自分だけの力では生活できなくなった時 それ以前にどれだけ自分を助けてくれる仲間や友人や依存先を作っておくか? その必要性について話されました。また介護援助をはじめ 公共サービス 福祉用具なども積極的に活用して 依存先を増やしておくことが自立にとって大切です。   いよいよ本題の話です。

共生 共に生きる仲間とは どのような仲間か?

生活のすべてを知っている相手には弱みを見せたくない。笑顔であいさつをかわす程度「おはよう」「お疲れさま」「お先に」「ありがとう」「元気?」この言葉をかわす程度の関係が 体調の変化もかるく話しあえる。この関係が上手に作られていれば 大きな助けも求めやすくなります。そういう人たちとの接触回数を増やすことが大切です。

徳島県海部町は全国で一番自殺率が少ない町だが 立ち話・あいさつ程度のつながりの人が多く 強い絆で縛られているわけではないそうです。

「うまくいっている共同体というのは とくに仲良しでなくてもいい 笑顔であいさつを交わしている。そして失敗したときでも「おたがいさま」と許しあえる。なにか起こったら助けあう。否定的な面でなく良い点をおたがい口に出して認める・相槌を打ちながら話をする・ねぎらう・聞くときは感嘆詞で応じる・・・などのポジティブな態度であらわしている。

私たちがいなくなったあと 与えた(お金などの)物ではなく 優しさとか思いやり それだけが人に残る」と話を結ばれました。                               わかりやすい言葉で 快活な声で話してくださったあと 私たちも気分が解放されて 意見や質問が どんどん出てきました。

「うまく共生していくために ”仲よく” でなくていい あいさつ程度でいい ということに とてもホッとした。」

「自分はおしゃべりが苦手で 人と長く立ち話などできない性格。せせらぎに長くいるが 明るい笑顔であいさつする というようなことができなかったかもしれない。」

「自立ということを 今まで誤解していたかもしれない。うまく依存してこそ自立ができるということを 今日はじめてうかがった。」

「自分はとても共同体意識のつよい筑豊という所で生まれ育ち それが当たり前と思っていたが 都会に出てきて働き 結婚し この地域で暮らしてきた。人の役に立つことができないかと思っていたところ グループリビングのことを知り この土地を提供した。今後のことで 入居者のみなさんお墓はどうするのかな・・・と思いめぐらすことがある。」

「あいさつ程度の関係がうまくいくということに関して 孤人主義でなく”節度ある個人主義” ということにとても共感する。」

「自分はふだんは明るくと思って振舞っているが 根暗なところがある。京都から遠い関東にやってきて うまく共生していけるか不安に思うことがある。また認知が進んだりした場合に cocoせせらぎからどこに行けばいいか不安に思っている。この周辺でグループホームなど見学に行きたいが 紹介してもらえるだろうか。」などなど。

それぞれいろんなことを考えながら とてもいい一時間半を過ごすことができました。cocoせせらぎがいい共生の場となるためのヒントを たくさん聞かせていただきました。        佐々木 炎 先生 ありがとうございました。                  (前+土) 

IMG_0007今年も新年記念写真はマスクが並びました。オミクロンがいなくなることを願いながら・・・  通りかかった方にシャッターをお願いしたら、タイミング悪く お二人が前の方の陰にかくれてしまいました 失敗!!

 

 

「共生」ーー生きることを共にする

私の住まい、COCOせせらぎでは、「自立と共生」をくらしの基盤としています。

「共生」の読み方は、「共に生きる」が最も普通の読み方だと思いますが、「生きることを共にする」と言う読み方を最近知りました。「生きること」という言い方は、ヒトの常住座臥を想い起こすので、具体的な場面が目に浮かびます。

例えば、食べることを共にする、即ち「共食」です。これは、共生の大事な一場面です。共食は、今風に言えば「会食」でもいいでしょう。生存の根源である摂食ですので、ひとりで食事する孤食は、ただ食べるだけで、旨い不味いだけのこと。共食であれば、同じ場所で同じ時間に同じ食べ物の味覚・嗅覚・触覚を共有すると同時に、食卓の空間を充たす雰囲気も共有することになります。

共食以外にも、連れ立って劇場や展示会に行く、名所旧跡を訪れる、スポーツを観戦する、観劇し、音楽を楽しむ等ヒトが同じシーンで五感を働かせることを共にするという共生の場もあります。

こうした共生する人たちの間には、共感が生まれるわけです。つまり意見や感情を他人と共有することになります。だからと言って同じ意見・感情を持つとは限らないけれども、共生の中では、他人の意見や感情を理解しようと努める意識が働くと言えるでしょう。

この共生を支えるのが自立です。「からだの自立」は自明ながら、敢えて例えれば歩行困難でも杖や電動式車椅子を使えば、健常者と同じく移動できるので、自立と言えます。失明していても適切に支援者の援助を受けて自立している人もいます。他方「こころの自立」は,「自律」と同じです。自分の置かれた状況を観察し、判断し、決断することです。

自分の意思でグループリビングに移り住んで来た十人程度の高齢者の小規模集住ならば、住人同士の日常の接触は過度に濃厚にならず、挨拶を交わし、会話する適度な付き合いができます。ひとり暮らしのように全く気儘に自分勝手はできませんが、周囲に対するほんの少しの緊張感を保ってくらすので、グループリビングは自律と共生を実現できるところです。             (池谷 滿  アビーフィールド協会 会報から転載させていただきました。)

 

 

 

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新年早々 せせらぎ遊歩道に雪が降り 白黒の幻想的な風景に。

 

COCOせせらぎに暮らして 2021・12・25

せせらぎ初のクリスマス会

 

新型コロナ感染症に悩まされたこの2年間 ここにきてワクチン普及 個人個人の努力により少しおさまりをみせています。cocoせせらぎでも外部の方を交えてのサークル活動を再開しました。そんな中 運営委員会で前田理事長から 前からの懸案だった入居予約者との集いの提案がありました。

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早速入居者4名でチームを作り 入居予約者 入居者 運営委員 スタッフに呼びかけ クリスマス会を計画しました。この時期なので立食式で サロン中央にテーブルを置き 飲み物 お菓子などを 周りに椅子をならべ 自由に動きまわっていただくことにしました。

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12月16日 当日は21名の参加がありました。

皆さんには消毒 検温 マスク会食のお願いをして 事務局・佐久間さんの司会ではじまりました。

前田理事長の挨拶 続いて予約者の方の自己紹介 そのあとテーブルいっぱいにセッティングされたビール ワイン 紅茶 ジュース 入居者が作ったゲランド塩のクッキー チョコレート お菓子 おつまみの他に 入居予約者からの差し入れもたくさんあり それぞれお好みのものを取っていただき 酒井副理事長の乾杯! しばらく歓談していただきました。

 

そして次はサークル代表者の紹介へと移りました。

・カフェ&まちかど相談室 「ボランティアさんも多く 盛況です。」

・歌の会         「声を出すのは気持ちいいです。」

・健康マージャン     「初心者が多く 早く上達したい。」

・着物リフォーム     「お母さんの思い出の着物をワンピースや半纏にと。」

・写経          般若心経の一節を朗々と

・名画座         「上映リクエストが出るようになりました。」

他にも体操などがあり 多彩なサークル活動は私たちの日常を豊かにしてくれています。

 

さて 今日のメインイベントへと・・・

絵本『てんしさまがおりてくる』の佐久間さんの朗読が終わって その声に合わせて全員で サンタさ〜〜ん と呼ぶと 白髭 赤い衣装のサンタさんが菜園のドアからとびこんできて イヤー びっくり!!

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メリークリスマス! と声をかけ 一人一人にカードを渡し「次の所でプレゼントを待っているから」と忙しく走り去りました。

クリスマスツリーに飾られたプレゼントの中から カードの数字の物をさがしてワイワイガヤガヤ大盛り上がり。ユーモアのプレゼント。ちなみに私は伸びる魔女の手(孫の手)でした。背中をトントン。

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あっという間に予定の時間が過ぎ お開きに。

予約者の方からは「すぐ入居したい」「楽しかった」「また会いましょう」などの声が寄せられました。

コロナ禍で簡単な会食になりましたが 皆さんの楽しかったの声をいただき ホッとしています。これから寒さが厳しくなります またコロナも心配です。お体に気をつけて 良いお年を。                                 (鳥)

 

まだほろ酔いでーす^^^

 

今日は12月24日 クリスマスイブの晩です。食堂に向けて階段を下りながら 今夜はどなたが夕食当番だったかな? そうだWさんだ。どんな夕食かな・・・と足が弾みます。

食堂に入るやいなや目に入ったのは 色とりどりのお盆の上。

揚げたてトリ手羽肉のうえには ニンニクを焦がしてケチャップ・牛乳・チーズなどを混ぜて作ったオレンジ色のソースが光っています。

Wさん持参の資生堂の上等なスープ皿には はじめて挑戦してみたというカブのスープが。カブを皮ごと輪切りにしてバターで炒め 牛乳とコンソメスープで仕立てミキサーにかけた 真っ白なスープ。飾りに炒めカリフラワーがのっていて とてもまろやかな上品なお味。銀座資生堂レストランでは 一皿1000円也のスープとのことです。

二つの可愛いカップが並んでいます。チキンライス・ゆかりとシラスの混ぜご飯 洋風和風の二色のライスが彩りよく並んでいます。

そしてクリスマスに皆で食べられるようにと  I さんが取り寄せてくださったシュトーレンの皿と もう一つのデザートは ゼリーの上にプルプル震えて立っているWさん手作りのかわいい苺サンタ。

え

部屋を暗くして ちょっと気分を出して「きよしこの夜」を歌い 白ワインでメリークリスマス!と乾杯 イブの夕食がはじまりました。Wさんもワインで少し頬を染めて料理の説明をするやら おごりの紅ワインのボトルを開けて皆の席を回って勧めてくださるやら・・・私も普段はあまり飲まないのに Wさんが持ってきてくださったブルガリア産の紅ワインが飲みたいばかりに がんばって白ワインのグラスを飲み干しました。

 

Wさんは「みなさんがおいしいって食べてくれるのが一番うれしい」と言って いつも勉強 工夫を欠かしません。「今日はこの前テレビでやっていたのを作ってみたの どう?」「食べたいものがあったら言ってね」「ビタミン愛が入ってるからね たくさん食べてね」と言いながら 一人一食550円也という制約の中で いろんな工夫をし 買い物に走り回って 色どりも考えて 私たちの夕食を取り揃えてくださいます。Wさんの手にかかると 毎回が美しい ”晴れの食” になってしまいます。

他の3人のスタッフの皆さんも それぞれの個性を生かして一生懸命作ってくださっています。スタッフさんのおかげで 私たちはせせらぎで毎日元気で過ごせているんだなぁ 太った年寄りになりたいと思っていた私など 入居5年を過ぎて ふと体重計に乗ってみたら なんと5㎏も増えていた 幸せだなぁ と。

 

紅白ワインのおかげで私もほろ酔い^^^ 酔ったいきおいで皿洗いの手が震え 上等の資生堂スープ皿を壊さないように! この文章もかなり壊れています・・・   (土)

cocoせせらぎに暮らして  2021・12

cocoせせらぎでは この2年間コロナのため外部活動ができませんでしたが 感染者が減ったこのチャンスに! と早速バス旅行が企画されました。入居者5名 運営委員・スタッフ・ライフサポーターが7名参加して 晩秋の1日を楽しんできました。

ほったらかし温泉日帰りバスハイク

ミニ紀行

前夜の暴風雨はパタリと静まり、11月30日(火)は、快晴、無風、温暖でこれ以上は望めない好天気になりました。早起きして8時にCOCOせせらぎで12名で定員22人のレンタルバスに乗り込み出発しました。サンドイッチやミカン、お菓子お茶の差し入れもあって用意万端。

途中の道路、休憩には渋滞も混雑も全くなく、真っ盛りの紅葉を潜り抜け、予定通り古民家「皆吉」につきました。甲府名物「ほうとう」の昼食です。続いて葡萄の段々畑をバスで15分登った目的の温泉は貸し切り状態でした。

 名前と違って良く手入れの行き届いた広々とした露天風呂の透明の湯に浸かったまま、甲府盆地の町並みと盆地を囲む山々を一時間ほど堪能できました。風呂上がりの状態でぶどう園に繰り込んでワインを試飲し土産を買い込み、みんな機嫌よく帰途に着きました。途中、海老名のSAで夕食、ほぼ予定通り真っ暗になった6時半COCOせせらぎに着いたところで小雨が降り始めました。

ここには来年サクラの季節にもという声もありました。それに限らず皆で遊びに出掛けることは楽しいことです。また次の機会を。   (池)

 

リハビリを頑張って頑張って みんなと一緒にバス旅行に行けました!                               2021・12

せせらぎに入居してまもなく二年になりますが 80歳の私が転居を考えるのは少し遅すぎたかもと思うことが起こりました。

せせらぎへの引っ越しが2月に決まり 自宅の売却 家財の片づけなど大変忙しくなりました。毎日毎日家とせせらぎをバスを使って往復していました。バス停にも頑張って歩きました。そんなある日 せせらぎの玄関で転び 何とか部屋にたどり着いたものの 気を失ってしまいました。

運よく娘夫婦と孫が手伝いにきてくれ 発見され 救急車で溝の口帝京病院に運ばれ 即入院となりました。せせらぎでの生活が始まるかと思っていたのに 入院です。

入院して一週間ぐらい高熱がつづいたので その後何度かMRI検査を受けました。水頭症やウィルス感染症や悪性リンパ腫などの疑いもありましたが それらは大丈夫とのことで 2月下旬に脳アミロイド血管障害 頸椎圧迫骨折による骨髄症 骨粗鬆症 高血圧症などの診断を受けました。長く入院したため足の筋肉がなくなって 歩くことができず押し車を利用。院内でのリハビリを受けた後 やっと3月中旬に一ヶ月半の病院生活が終わりました。

せせらぎでも最初は歩けず 押し車を使いました。買い物は娘に週一回頼みました。

早速リハビリがはじまり 週に1回 骨盤を上げたり下げたり。リハビリの先生が部屋まで来てくださるということで 大変助かりました。

4月22日 帝京病院に通院。首の骨は大変細くなっているので大切にすること 手がしびれたり違和感があったらすぐに病院に来ること 首を大きく回さないこと など注意を受け ますます気をつけなければいけません。

4月25日 Tさんと30分くらい 野菜を売ってくれる近所の農家さんの場所を教えてもらいながら 押し車で歩きました。この頃から生協に入り 買い物はせせらぎの玄関で受け取ることになりました。

1日も早くよくなりたいので 5月末からリハビリを週2回にしました。この頃 Rさんと近くの橘公園を散歩して 休み休み一時間ほど歩きました。そして夕食の後片付け当番も みなさんに手伝ってもらいながら手早くできるようになりました。

6月 ケアマネさん 介護ヘルパーの方 娘と私で入浴介助の件で話し合い 四ヶ月ぶりに風呂に入ることができました 今まではシャワーだけだったので ひさしぶりで気持ちよかったです。

そしてリハビリの先生が言われるままに 部屋の前の廊下を毎日歩きました。長さ12mくらいの廊下を行ったり来たり 一日100歩からはじめ 200歩から300歩と少しずつ増やし500歩から1000歩 1500歩と毎日。廊下にはなんの飾りもなく景色も見えないので飽きることもありましたが 続けなければと思い 自分なりに頑張りました。階段の上り下りも始めました。でもまだ一人での外出はできないし もう一度転んだら危ないと言われました。

徐々に外を歩く練習も 杖を使って10分から始めました。孫たちといっしょに歩くと景色も楽しく 少しずつ外出するようになり 今年の8月からは せせらぎの仲間といっしょに夕食後の散歩に行くようになりました。

そんな時にせせらぎで コロナもだいぶおさまってきて日帰りバスツアーが計画され 山梨のほったらかし温泉に行くことになりました。私もみんなと旅行にいけました 久しぶりの旅行と温泉!  思っていたより早く行けることになり 大変嬉しく思いましたし 今回の旅行でだいぶ大きな自信になりました。               (太)

 

この一年間毎月 せせらぎの玄関・サロン・食堂などをにぎやかに飾ったポスター     月の初めにはちゃんとできあがって 張り出され 私たちは季節を感じることができました。入居者Mさんの力作をホームページでもご紹介します。

年賀[1363]節分1 ひな祭り 花見 5月 (003) 6月 7月 8月 9月 10月[1285] 11月 12月[1370] 書き込み書き込み 

       

 

 

 

cocoせせらぎに暮らして   2021・11・25

cocoせせらぎに暮らして        2021・11・25

楽しんだ落語の会    

(今回はオーナーの秋元さんが書いてくださいました。)

オレンジ色の旗がせせらぎ川の下流の矢上川に沿ってヒラヒラと客を招く。

川沿いにひとみ座があり オレンジ色の法被を着た世話人の人たちが「いらっしゃいませ!」で出迎えてくれてます。

ひとみ座の玄関に入ると ケースの中に『ひょっこりひょうたん島』の人形たちが出迎えてくれます。初めての人は会員登録してチケットを受け 自分でもぎり 二階に昇る。椅子席に座りました。せせらぎ住民の五名 左側5列目くらいに座る。

テケテン テケテン・・・の出囃子で 落語家さんの登場。客席より「待ってました!」と声がかかる。「エー 毎度バカバカしい~~」ではじまる。前座から真打の落語家さん三名と 幇間芸(太鼓もち)の方々でした。                                  コロナ禍の中で 一年半の休みだった「ひとみ座寄席」との再会でした。

聞きにいった5人の感想

「元気もらった~。」

「すーごく楽しかった!」

「広い会場でなく ほどほどの広さで 声がよく聞こえた。」

「今まであまり聞いたことなかったけど たった一人で何人もの会話を話し 情景や雰囲気を言葉

だけでひとり芝居するすばらしい伝統芸術だなと。とてもおもしろかった。」

「真打さんの話は やはり聞きごたえがあった。次が楽しみ。」          (秋)

 

cocoせせらぎに暮らして 2021・11

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ブローチにしたいような紅葉した葉っぱ

cocoせせらぎに暮らして                      2021・11

生いたち

私は1940年1月 岩手県一関市で 6人姉妹の次女として生を受けました。平泉中尊寺は隣町です。北上川が近いので 台風のたびに大水害に見舞われ 一階の天井近くまで浸水したことも度々でした。

中学一年のとき 高校一年の姉を頭に下は3歳の妹を残して 父は事故で他界。母は6人の子どもを抱えて 餓死させることもなく無事に育てました。祖母の代から田舎町で雑貨屋を営んでおり お客さんに助けられたと常々言っておりました。

私は高校卒業後 県職員となり県立病院の医療事務の仕事につき 24歳で上京後 病院や生協などで 一人娘を育てながらパートで働きました。

孫の出産を機に58歳で仕事を辞め 娘のところに毎日一時間かけて通い 保育園の迎えと夕飯作りに励みました。娘も 子どもたちから塾やスポーツ通いの前に「今日はなに食べるの?」と言われることもなく 仕事ひとすじに励めたのも 私の援助があったからと自負しています。

20年前に夫が病死して以来 新婦人の会に入り 原水爆禁止 憲法改悪反対 横浜市中学校の給食の普及などの署名活動に取り組んだり 母親大会にも参加しました。

数年前 新婦人の会の仲間から せせらぎに入居している I さんのところにお見舞いに行ってきたので、と せせらぎの資料をもらいました。いずれ私も考えようと思いましたが せせらぎでは夕食を一緒に食べるので娘のところに通っているうちは無理・・・と思っていました。ところがコロナが発生し 娘のところに行けないなか 私も80歳を過ぎ 毎日の生活が億劫になってきました。

7月はじめ せせらぎに問い合わせたら一部屋空いているとのこと 娘と見学して 私の他にもう一組待っている方がいるということで 翌日には入居の返事をいたしました。とにかく年金の額で支払いができることが決め手となりました。

40年住んでいた団地の3DKを手放しましたが 一部屋は物置にしたほど荷物で埋め尽くしせせらぎに持ってくるのは限られ 半分以上捨ててきました。

将来年金の額が下がらず 遺族年金と国民年金で支払いできるよう 私自身の健康に留意しながら頑張りたいと思います。                  (及)

 

cocoせせらぎに暮らして   2021・10

cocoせせらぎに暮らして               2021・10

ライフサポーター として勉強の毎日

CoCoせせらぎに来るまで「グループリビング」という言葉もまったく知らず、知人のOさんからお誘いを受けてはじめて知りました。

その時は、他の仕事をしていたため 見送ったのですが、当時娘(三女)の小学校の様子が穏やかではなく、集団の中での物事や人との関わり方など、自分はどうしたいのかと考えることがすごく多くなりました。

その中でこれから先、自分が人が人として大切にでき、心豊かな人としていられるにはどうしたらいいか、どうしたいか、考えるようになり、ふとCoCoせせらぎのことを思い出し、くわしく話を伺いました。

話を伺うと 私がこれから生きていく道筋ととても共感するものがたくさんあり、ここでなら色んなことを考え、経験させてもらいながら成長でき、未来に希望をもって生きていけるのでは?と思い ライフサポーターという役割でCoCoせせらぎに関わることを決めました。

そして現在3ヶ月がたちました。一日一日勉強の毎日で、ライフサポーターがどのような役割なのか、みなさん人生の先輩で どのように接していけばよいかは、まだまだ勉強中ですが、みなさん丁寧に一つ一つ教えてくださって、人のあたたかさを実感して、毎日奮闘しています。

私がこれからせせらぎで どのようなことができるのかはまだまだわかりませんが、CoCoせせらぎの柱である「自立と共生」を常に考えながらがんばっていこうと思っています。                        (佐)

 

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サロンで映画鑑賞会

もう少しもう少しの辛抱の筈だったコロナ禍は 中々尻尾が掴めず 次々と変異しながら私たちの生活に多大な影響を与えていますね。
cocoせせらぎでも同様、入居者10人はワクチン接種は済ませたものの不自由な生活を強いられています。
それでも生活の質(QOL)を少しでも上げたいと工夫して頑張っています。

その一つがDVDによる映画観賞会です。でもサロンに設置されているのは小型のTVのみなんです。大型画面が欲しいなーーとはいうものの・・・

丁度そんな話が出たときに川崎医療生協から、おもしろいDVDを借りるので 希望があればプロジェクター共々貸しだしますとのお話をいただきました。なんというタイミングでしょうか。(LUCKY‼︎‼︎)
サロンの白壁に映し、扉や窓のサッシは黒のケント紙で覆って映画館の雰囲気を出そうと あっという間にきまりました。
プロジェクターはまた借りられるとのこと 月一回の上映会開催が決まりました。
プロジェクターの貸出や今後レンタルDVDも想定して ¥100の入場料を決定、消毒したり 椅子の位置も十分空きを取り 設置しました。
運営委員の方が名画のDVDも貸してくださいました。

何人入場するのか未定でスタートしましたが、6月〜8月まで4回上映して平均8名が参加、上映希望のリクエストもあり 好評です。今後も希望映画を上映予定です。

☆ プロジェクターで始まった映画会ですが、何と大型のTV画面が入りました‼️
画面の色彩が美しく プロジェクターの画面と比較しても遜色なしとのこと、 プロジェクターを借りたり サッシを黒張りする必要もなくなり 入場料金も半額にしました。

今まで上映した映画と 今後の予定
6月23日                『初恋のきた道』

7月28日                 『愛情物語』

8月20日                『学校』

8月28日                 『ローマの休日』

9月 22日    『千とちひろの神隠し』

10月 予定    『僕の村は戦場だった』              (石)
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cocoせせらぎに暮らして    2021・9・3

cocoせせらぎに暮らして                  2021・9・3

写経をはじめました

5月からcocoせせらぎのサロンに 週日午前10時~午後3時まで若いライフサポーターさんが座ってくださることになりました。45歳! ふだん私たちとはあまりおつきあいのない若い世代の女性が 毎日サロンにいてくださる! 事務を取りながら いろいろ細かい要望や相談事に対処!というのは なんという幸運 なんとありがたいことかと 一同感謝の日々なのですが そのうえ写経を教えてくださることになったのです。

サロンで何の話からか「私ね 写経をやってるんです」という彼女の一言を聞いてしまったのです。 写経。。 うーん 今まで経験がないけど 墨をすって筆を取って 心静かに書く・・・ なんかとてもいい感じ。

そう思ったら即 実行の私 「ねー 写経っていうの 教えてもらえない?」と聞いてみました。 「私も習っているだけなので 教えるというより一緒にやるという感じなら いいですよ」とすぐに彼女は言ってくれました。「まず一回やってみましょう」とさっそく日を決め お知らせポスターを貼り 人数を募ると 6人参加とのこと。

写経教室当日 コロナ対策で 横長のテーブルの端と端に椅子をはなして置き 三台のテーブルを先生に向かって三列。寺子屋のように6人が並びました。先生が「般若心経」の見本と練習用の紙を用意してくださり 私たちはそれぞれ部屋のあちこちからかき集めた筆やら筆ペンやら硯 墨 墨汁 紙などを持ちよって 椅子に座りました。先生の説明がはじまった途端 とても懐かしい空気が漂いました。” なんかよくわからないけど 先生の言うとおりに “という小学校のお習字の時間の空気。一応の説明を聞いて 一人ひとり筆に集中しはじめました。「般若心経を唱えることができる」と言っていた男性の I さんが 高僧の唱える般若心経のCDをかけてくれ 荘厳なBGMの中でみんな無言で一字一字書き進めていきました。どんどんアジのある自分の字で書き進める人 なるべく見本のとおりにと慎重な人 それぞれの一時間が過ぎて フッと息を抜いたら なんと目も肩も腕も腰もぱんぱんでした。

「今日やってみて又やりたいなと思う方がいたら 次回もやりましょうか」と先生が声をかけてくださり 月に一回 希望者ももう一人増えて 写経教室は続けることになりました。教室大繁盛! 7人になったらどのようにテーブルを並べようか 頭をひねらなきゃ・・・

夕食後 今日はたのしかった~という話を皆でしていたら 誰かが「そうだ 私お葬式は I さんに般若心経を唱えてもらおうかな」「いいね~ 私も頼もうっと」「私もね」と希望者続出。皿を洗いながら聞いていた I さん。「じゃあ 俺はどうすりゃいいの」「一番最後ってことね」・・・わっはっは         (R)

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cocoせせらぎは「コモン」?

資本論と聞くと引く人がいるかも・・・ でも昨年9月に出版され あっという間に30万部! 新書大賞もとり とくに若者のあいだでベストセラーになっていると評判の『人新生の「資本論」』を読みました。                                     経済の本を読むなんて たぶん私の人生ではじめてのできごと。でも大阪市大の若~い(34歳)先生の熱気に引きずられて一気に読めました。斎藤幸平先生は zoom で拝見したら ピンクのワイシャツの似合うなかなかハンサムな方 手ぶりをいれながら「地球環境の危機にあって 生き残るために何をなすべきか」を熱心のあまり早口になりながらの講義。その合間にちゃっかりピアニストの奥さんのことを自慢したりするお茶目な方でした。

彼の心配ごとは 世界中を襲う大洪水・山火事・熱波・氷河溶解・海面上昇など二酸化炭素排出による地球危機を 手遅れにならないうちに止める方法はなにか・・・という ひとりで頭を悩ませるにはあまりに大きな大きな悩み。経済学・哲学・社会思想をドイツで学び カール・マルクス晩年までの原典をひもといて この大きな問題にとりくんだ結果(彼の論文はドイツの権威ある賞ドイッツアー賞を31歳という歴代一位の若さで受賞 もちろん日本人としてはじめて)若い頭脳の中からまっすぐに取り出されてきたのが・・・

「すべてを儲けのタネにして 地球資源を掘りつくし 土壌を壊し 海と大気を汚し 途上国の資源と労働力を安くかすめとり 危機にさえ便乗して(例えば山火事→火災保険というように)成長を止めない資本主義が元凶だ!」

という そう言われればそうだよねと 思わず納得してしまう答えでした。そして それに対する斎藤先生の処方箋は・・・

「コモン(市民が共有・管理するべき社会の富。たとえば空気・水・太陽光・土・電力・住居・医療・保育・教育・介護・郵便・電波・交通などなど)を公共財として 自分たちで民主的に管理すること。これらを儲けのタネにしないで 社会的共通資産として 専門家任せでなく市民が民主的に共同管理して(話し合いに時間はかかるけど)コモンの領域をどんどん拡げていくこと。

生産の場でも 途上国の労働力を安価に掠めとるのでなく 働く人がみずから出資し みずから経営し労働する共同管理の生産方法をとる。そうすると生きていくうえで必要のないものを生産するクソくだらない仕事(bullshit job たとえば宣伝広告・マーケティング・金融・保険など)はやめるようになり 生きるに必須のエッセンシャル・ワーク(食品・教育・医療・介護・交通・通信など)だけが残る。生産は減速し脱成長へー→資源の浪費は減り 地球危機から免れる。私たちは生活様式をあらためる。」

経済を右肩上がりの成長でなく 右肩下がりにペースダウンすることで この燃え盛り氷の溶けていく地球をクールダウンさせる という私なりの理解ですが・・・頭の中をスーッと涼しい風が吹きぬけたような気がしました。そして フッとcocoせせらぎのことが頭をよぎったのです このコモンという概念の中にcocoせせらぎも入るのでは?

子どもには教育というコモンが必須なように 老人にも介護・医療・住居というコモンが必須ではないか。一生働いてきたのにあまりお金に縁のない人も 安心して自分らしく最後の日々を送れる所が必要だということを考えたとき cocoせせらぎは

「この場所を儲けのタネにしない。利潤を目的としないから成長もしない。一人ひとり自立して 運営は民主的にみんなで話し合って決めていく。困ったときにはお互い助けあう相互扶助の精神。まさに斎藤教室優等生のような これぞコモンではないか!」と。

そう思いついた私は おもわずひとりで盛りあがりました。これまで8年 理念をもってここを一生懸命運営してくださった運営委員に感謝! そしてこれからもcocoせせらぎがこの体制をもちこたえますように と願いました。

「SDGsでは もはや追いつかない」と斎藤先生が言われる地球危機に対しては 私たち高齢者はおおいに責任があるのに無力だなぁ と思わずにいられないのですが 子ども・孫・ひ孫の世代が地球上に生きのびるために 私たちも生活様式を考え直し できるだけのことをしなければ。

・要らない物は買わない                                ・

・ファストフードやファストファッションには手を出さない

・必要以上の水や電力を使わない

・紙を無駄にしない

・プラスチック ビニール類はなるべく少量に

・プラごみが海に流れつかないように 拾って歩く。

そして「コモン」であるcocoせせらぎを守っていく、、、、、老人もがんばります! (R)

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ベランダの秋ナス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

cocoせせらぎに暮らして      2021・8・8

cocoせせらぎに暮らして

ある犬の老後                  2021・7・17

ノア20210628 005 今日は特別の体験をしました。勉強会のために月に一度訪れていたギャラリー コロナ下で毎月集うことができなくなって みんな集まったのは久しぶりのことでした。

ギャラリーの女性オーナーがお茶を入れてくださりながら「ちょっと 犬 連れてきてもいい?」と言われました。イヌ・・・?  なんのことかわからない私たちはキョトンとしていたのですが まもなくオーナーのうしろから大きな犬が現れたのです。

ふつう犬はお客さんと見ると 跳びまわったり 舐めたり 撫でてもらおうと体をすりつけてきたり 吠えたりじゃれたり いそがしいことこの上ないのですが・・・現れた白? ベージュ? のラブラドールレトリバー その姿はふつうの犬の騒がしい様子とは全くといっていいほどちがって オーラを感じさせる静かさ。私たちはこの気品のある犬の登場に一瞬圧倒されて 気安く撫でてはいけないように感じたのです。

「この子はね 盲導犬だったの。10歳になって引退してウチで預かることに。。」との言葉に ア~ そうなんだ~ と一同 納得しました。

生後1年間パピーウォーカーに愛情いっぱい育てられ その後の厳しい訓練を2年ほど 適性のある犬だけがやっと盲導犬になり 目の不自由なパートナーの生活・仕事を誘導し 時にはパートナーの命を体を張って守る生活7~8年。もし飛行機に乗ったとしても トイレにも行かずパートナーの側に10何時間でもじっと座って動かないという盲導犬。今 年をとって引退して こうしてボランティアの家庭にひきとられ 老後を過ごしているというわけです。

オーナーによると 散歩中も電柱があればご主人を守って間に立つし 穴ぼこやマンホールがあれば必ず回りこんで誘導 ほかの犬と出会っても吠えたり 噛んだり じゃれたりなど決してしないとのこと。人間なら75歳だというおじいさん犬 優しい目をして静かに床に横たわっているのを見ていると 引退しても普通の犬に戻れないのが盲導犬なんだなぁと 尊敬のような気持ちと 犬本来の遊ぶ生活ができたらなぁという感じも・・・

私たちは生きて行くために 給料をもらうために 職業人としてたくさんのことを身につけなければなりませんでした。技術的な訓練を受け その職業なりの倫理観を身につけ 集団になじみ ときには言いたいことも我慢して。鎧でガードした自分を自分でないように感じることもありました。cocoせせらぎの10人はみなそのような職業人でした。でも引退した今 幸せなことに仕事のなかで身につけたものをサラリとを脱ぎすてて ふつうの人 なんでもない人として自由に生きています。

ところが盲導犬だった”彼”はいつまでも身につけた鎧を脱ぎ捨てることができずに 高僧のように尊厳 誇りもそのままに老後を送っています。ときには吠えたりじゃれたりしてもいいのに・・・

暑い日で ひんやりした床に体を横たえる”彼”のそばに行って 思い切って撫でてみました。「えらかったね~ 疲れたでしょう」「いい子だね 頑張ったね」とみんな口々に褒めると 人間の言葉をずいぶん理解できるらしく 大きな尻尾をバタンバタンと床に鳴らして喜びました。(R)

 

IMG_0002 朝からあまりに暑くて食欲がでません 近所の農家さんの採りたてトマトの皮をむいて塩をかけ キュウリは味噌をつけて丸かじり オクラはマヨネーズで。                 手作りフォッカッチャといっしょに豪華(^^)v?な朝食!

 

   I さんの思い出                       2021・8・1

慶應大学 SFC 研究所のお二人がグループリビングという暮らし方の研究のためにインタビューにこられた時 居住者同士のケアについて私は I さんとの生活をかいつまんで話しました。「それはとても貴重な体験ですね。他では経験できないことだと思います」と二度も言われたことで それまで特別なこととは思っていなかった私は ちょっと意外で・・・でも認知症を理解していくためには大切なことだったのかもしれない だったら今のうちに思い出すことを記録しておこう という気持ちになりました。

I さんは2015年にせせらぎに入居し 2019年2月に退去。3年数ヶ月ここで暮らしたことになります。最初は認知症専門のグループホームに入る予定だったのが その施設の方が  I さんならまだ十分cocoせせらぎで過ごせるのではないかと紹介されて ここに引っ越してきたということでした。

私は2016年に入居したので I さんとのおつきあいは2年数ヶ月。私が入った頃 I さんはもうここでの生活にだいぶ慣れて 一人で昼食を買いに出かけたり 月に一度は文学の会に参加するのだと言って いそいそと出かけて行かれてました。でもここでの生活で親しい方はいないようで 聞かれなければなにもしゃべらず そーっと出かけ そーっと帰ってくる・・・最初私は失礼ながら「幽霊みたいな方」と思っていました。

でも夕食時にお会いすると健啖家で よく食べよく飲み 私より7、8才年上なのにずっと元気で シワひとつないお肌はつるつるでした。私は思いきって話しかけてみました。

「小説を書いてらっしゃるって伺ったんですけど どんな小説ですか」「うーん いろんなのよ」「どういうところに発表してらっしゃるんですか」「横浜に本部のある同人誌」「読ませてもらえますか」・・・ということで見せてくださったのが 教員をしている時の自閉症の生徒さんとの交流 自分の病気とそのことで破談になった彼のこと シベリアに抑留される途中に中国で亡くなった叔父さんのこと・・・三つの短編でした。自分の歩んできた道を正直に 誇りをもって書いておられ I さんは誠実で芯のある方だということがよくわかる短編。偶然にも同じ屋根の下で暮らすことになった I さんに尊敬の気持ちがめばえ 少しずつ I さんとのおつきあいがはじまりました。

軽い認知症とは聞いていたのですが 知識のなかった私には I さんが無口なのは「また小説の一節でも考えてるのか」くらいにしか思いおよばず 話しかければゆっくりした口調で一生懸命答えようとするし・・・認知症なんてそっちのけで暮らしていました。               一日置きに大風呂にいっしょに入りました。「今日はカフェにきた子どもたちが可愛かったねー」「昔は子育てしながらの仕事で ほんとに大変だった。自転車に二人の子を乗せて 別々の保育園に送り迎えしなければならなかった」とか 誕生日の夜には「あー、もう84才だって! あなたは若いけど(ちっとも若くない!)年取るってたいへんよ」 風呂の中で I さんはなかなか雄弁でした。政治の話にも興味がありました。

体を動かすことも好きで 体操に参加したときには体がしっかり動くし「卓球しない?」と誘いに行くと「卓球ね!」とニコッとうれしそうに出てきました。高校の頃に先輩が教えてくれたそうで とても上手。強い球を打てるのに けして私に対してスマッシュで打ち返すことをしない気遣いの人でした。                                     夕食後には二人でよく せせらぎ遊歩道の散歩に出ました。川風が気持ちよく 足の丈夫な I さんはけっこうな距離でもよく歩き 遊歩道半ばに設置されてある大型スベリ台まで行きました。夕闇の頃 遊んでいた子どもたちも家に帰って 誰も見ていないのを確かめると2メートル半くらいの高さまで太いロープを伝ってよじ登ると キャーっと言いながら幅広のステンレスの斜面を滑りおり「これがホントのお転婆ー!」と二人で大笑い。ときには一番上に二人で陣どって 月をながめながら童謡を歌いました。

「若いころ歌った歌をうたいたいわ」と I さんが言うので 読みやすい大きな字で歌詞集を作り 夕食後にほかの方もさそって歌いました。童謡・唱歌・歌曲・フォークソング・流行した歌など I さんはよく覚えていました。十八番は「四季のうた」 長く盲学校の教師をしていた I さんは みんなにこの歌の手話を教えてくれました。

cocoせせらぎで月に一回開いていたカフェには 高齢者ばかりでなく幼児連れの若いお母さんもよく来ていたのですが 子どもたちに絵本を読んであげたり 赤ちゃんをあやしたり 小さい子どもたちのペースに合わせておもちゃで遊んだり・・・さすが盲学校幼児部の先生 自分も楽しみながら2時間フル活動でした。

「お昼にスパゲッティを作ったから一緒に食べる?」と誘うとうれしそうにやって来て「おいしいわ~」と言って食べる日もあったりして おつき合いして一年もたつと おたがいの部屋を行き来することも多くなっていきました。ところがある昼時に 私の部屋にとても困った顔でやって来て「昼に食べるものがないの お金がないので買いにいけないの」と言ったことがあり はじめてあれっ? お金の管理が・・・なんかおかしいな と思いました。

介護認定をもらっていて 週一で生活支援のヘルパーさんに掃除と買い物をお願いしていましたが デイサービスもすすめられて行ったところ どうも合わなかったらしく「もう行かない」の一点張りでした。行きたくないのに無理して行かなくてもいいんじゃない と私も思ったのですが この時少しずつでも介護の範囲を増やすことを勧めていれば 後の対応もちがっていたのかもしれないと・・・ それは 今になって思うことです。

お会いして2年くらいたったでしょうか I さんは楽しみにしていた文学の会にも行けなくなってきました。                                        同じころ I さんの隣の部屋の方が「ベランダで1ヶ月も洗濯物を見てないけど 洗濯してるのかしらね」と言われ そういえば同じブラウスを何日も着ていることがあるな と気づきました。 I さんの部屋に行ったとき 洗濯カゴを見ると空っぽでした。「 I さん 洗濯する?」「うーん いいの」 洗濯場に行くのをとても怖がっていました。人と会うのがイヤだったようです。「一緒に行こうよ」とちょっと無理にさそってみると 意外にもあっさり「うん」と言って洗濯物をまとめました。それからはよく一緒に洗濯場へ。干したり取り込んだりたたんだりは普通にできましたが それをタンスにしまった時びっくりしました。上着 下着 夏物 冬物がすべて一緒くたで 適当にあいた所につっこんでいたのです。着たいものを探すためか 中はぐちゃぐちゃになっていました。認知症というのは こういうことがだんだんできなくなるんだ と認識しました。セーターなどの冬物は袋に入れて別の所にしまい タンスの引き出し一つ一つに下着・ズボン・ブラウスなどとラベルをつけて分類してしまえるようにしました。

せせらぎでの最後の2ヶ月 夕食に出てこないため 次第に呼びにいく回数が増えていきました。携帯電話の目覚ましをセットして食事時間を知らせるようにしてみたのですが うまくいきません。壁にかけてある薬カレンダーの曜日ごとのポケットに薬がちゃんと入っていなかったり 逆に昨日のポケットに薬が残っていたり・・・薬の管理ができなくなってきました。        薬をきちんと飲まないためか 眠る時間が昼夜逆転して 昼間に部屋を覗くとベッドでしっかり眠っていたり 夜よく眠れなくて「変な夢を見たの こわい」と言ったり・・・

だんだん生活が難しくなって ライフサポーターさんが介護の見直しを考え 介護事業所と家族の方との話し合いをセットしました。私も参加するようにと言われ 話し合いを聞いていました。「週二回のデイケアと週三回のヘルパー生活支援」という介護プランを説明するケアマネージャーさんの話をじーっと聞いていた I さんが とても真剣なこわい顔で「どうして私がこんなこと必要なんですか? 私はこれから勉強会をするので忙しくて そんな時間ありません」と強い口調で言いました。                                       話し合いの後 ご家族やライフサポーターさんが「せせらぎにいるためには 介護のヘルプを増やすことがどうしても必要だ」と I さんを一生懸命説得したようです。

 I さんのプライドがだんだん傷ついてきました。自分のどこが悪くてみんなは介護を増やそうとしているのかと 一人で必死で考えたようです。「自分は認知症ではない 障害者でもない 老害者だ」と言いはじめました。小説を書くくらい言葉にこだわっていた I さん 老いたことで人に迷惑をかけていると思い それを「老害」という言葉であらわそうとしたようです。そして「老害」と大きく書いた紙を持って私の部屋に来て「私の老害のせいであなたにも迷惑をかけてしまった」と言います。一度言ったことをすぐに忘れるのか 何度も何度も私の部屋をノックして また電話をかけてきて 同じことを言いつづけました。外出中には私の部屋の前で 老害についてずっと喋っていたそうです。今までの姿とちがい  I さんが別の世界に行ってしまった人のように思われて なんか怖くなった私は部屋の灯りを消してドアをロックしてしまいました。今思うとほんとに申し訳なかったです。

その後パニックのような状態になり ご家族も来て救急車を呼んだのですが 強い力で拒否し 2度も救急車に帰ってもらいました。最後はご家族が力づくでタクシーに乗せ 緊急入院しました。その後 I さんとは会っていません。退院されたあと グループホームで落ちついて過ごしていると聞いています。

なるべく長くcocoせせらぎで過ごしたいと言っていた I さんだったのに 認知症の進行を認識できないまま 私はぼーっと I さんと過ごしてしまいました。                  認知症に関して知る 病気の進行にともなった対応を知る プロの介護に任せることと身近な人がヘルプできること グループリビングの居住者同士のケアについて などなど学んだことは多かったし もう少しいい対応ができなかったかと悔やむことも多かったのです。 I さんのことがあってから 認知症についてcocoせせらぎ全体で考えていかなければならないと みな思うようになりました。

昨年 川崎市の助成があって「認知症を学ぶ」という講演会を企画しました。         そこで 高齢になればだれでも認知機能が老化すること 知識と思いやりがあればこういう所でも一日でも長く暮らせるのではないかということも学び 限界はあるけどせせらぎもそういう所を目指したいね と話しあいました。

もし I さんにちゃんと対応できていたら と想像することがあります  I さんは今もせせらぎで よく食べしっかり運動して過ごせていたかな・・・    (R)

 

cocoせせらぎに暮らして   2021・7・7

cocoせせらぎに暮らして               2021・7・7

IMG_0006                           せせらぎアジサイの小径

無・財・七・施? 

6月のホームページに「笑顔」のことを書いていて ふと思い出した言葉がありました・・・それは「和顔施」。「笑顔で人に接すると それだけでいいことをしたことになるんだよ」と 今から15年ほども前に 韓国の若い友人が教えてくれた言葉です。

博士号を取るために日本に留学で来ていたその女性は日本語ペラペラで いつもユーモアたっぷりに私にたくさんのことを教えてくれたのですが なにかの折に「和顔施というのは『無財七施』のうちの一つでねー」と話しはじめました。「え? 無罪?」「ちがうちがう! 無財だよ」。 忘れないうちに と私は急いで項目だけ手帳に書きとめました。ずいぶん前に聞いた話なので深い内容は忘れてしまいましたが メモを片手に思い出してみました。

「無財七施」とは読んで字のとおり お金がなくても人にしてあげることのできる七つのこと。                                    一、慈眼施 やさしいまなざし。                         なにか失敗をしたときでも 厳しい目つきでなく そんなこともあるよね~とあたたかく見守られたら よし、今度こそがんばってみよう と思えます。

二、和顔施 おだやかな顔 笑顔。                        周りがなごやかな雰囲気になります。笑顔の人からはガン細胞も逃げていくそうです。

三、愛語施 やさしい言葉。                           同じことを言うにも きびしいトゲのある口調と やさしい口調では受けとり方が まったくちがいます。

四、身施  身で人のためにできること。                     困っている人にお金で解決してあげることができないときも 話を聞いて抱きしめてあげることはできるかもしれない。

五、心施  善意のまごころ。                          ウソいつわりのない気持ちで人に接し「ありがとう」「すみません」などの言葉を素直に言えれば 相手の心にまっすぐ届きます。

六、床座施 座をゆずる。                            譲れることと譲れないことがあるけど 座や席くらいなら譲れるかも。

七、房舎施 家内の部屋を提供する。                       日が暮れ 今夜体を休めるところもないというピンチのときに軒を貸してくれる人がいたら 地獄で仏に会った心もちでしょうか。

「施」というのは 人が人にしてあげられる行為 ボランティア的な行動と言えるかもしれません。こういうことが「偽善者っぽい・・・」と言われ ワライやイジメの対象になりがちな日本。ところが韓国では 「正義は勝つ」と堂々と言いきる国柄だけあって 恥ずかしげもなく席は譲ってくれるは泊めてくれるは道に迷っていれば行き先までついてきて教えてくれるは・・・旅行をしていて私は何度も「施」を受けました。クリスチャンが多いといわれる韓国ですが このような仏教の教えも生活のなかに息づいているんだなと思いました。

仕事から遠ざかり お金の匂いからもどんどん縁遠くなっていくけど お金がなくても目で 口で 顔で 体で 心で できることがこんなにたくさんあるんだ、cocoせせらぎで共生生活をおくる私たち おおいに参考にしなくちゃ。            「無財七施」を久しぶりに思い出して・・・とても得したような気分です。 (R)

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切り戻ししたペチュニアをボールに