cocoせせらぎに暮らして    2022・2・7

介護事業所「ホッとスペース」を見学してきました

同じ屋根の下で暮らしていたお仲間二人が認知症で退所という経験をして 私たちは cocoせせらぎのみんなで認知症を知ろうと 数年前からシンポジウム 講演会 学習会など 少しずつやってきました。

その間 もし認知症になったらどれくらいまでせせらぎにいられるんだろう せせらぎにいられなくなったら どこか安心できる所はあるだろうか とみな心配を口にしていました。そうだ 認知症を知ることと並行して 実際を見て歩こう! ということに。

オミクロンが下火になるのを待てない・・・といった感じで まずいつもお世話になっている介護事業所ホッとスペースに見学を申し込んでみました。昨年11月に学習会で話してくださった所長の佐々木先生は 見学を快く承諾 お忙しいなか案内・説明ばかりでなく 話合いの時間も割いてくださいました。

1Fは 玄関・キッチン・広いホールで デイケアに多くの人が集まるスペース 日曜日にはキリスト教会の礼拝の場にもなります。

2Fの事務所では多くのヘルパーさんが事務をとり 経理・管理・応接の場所に。

3、4Fは各室8畳くらいの個室が14室あり 小さな居住スペースでありながら ミニキッチン・洗濯機・風呂が備えられ 高齢者ばかりでなく色々な方が入所しておられるようです。その一つの室内を見せていただきました。寝たきりで認知症でもデイケアに参加していて カーテンもベッドから自分で開け閉めできるように工夫し 介護を受けながら元気で過ごしておられる方のお部屋。「認知機能に衰えはあっても全く問題なく過ごしていますよ 夜は職員が一人もいなくなるけど 大丈夫」とのこと。

一回り見せていただいたあと 先生がざっくばらんに「どうでしたか」と聞かれました。すると一人が即答「今すぐ申し込みします せせらぎにはいつまでいられるかわからないから」と。

「そう? せせらぎは一緒に過ごす仲間がいるんだから 介護を受けながら最後までいけると思うけど」という先生の言葉から 私たち6人 いろんな意見が出てきました。

「助け合いというのがなかなか難しい。助けの手を出すことに勇気がいるし 助けを受けることにも勇気がいる状態。」

「それは、、 せせらぎは広いスペースがあるんだから 食堂にソファーでも置いて自由に集まって 親しくなる居場所を作ってみたら?」

「そうだな お互い知らないな~ 自分の生い立ちを書いて読んでもらう試みをしてみたけど・・・なかなか続かない。そういう場所を作るというのもいいですね」

「入所施設は認知症の人もOKということですが 一人で外に出ていっても本当に心配ないのですか?」

「今まで困ったケースは一度もない。出ていく人もいないし いたとしてもそんな遠くまで行って困るということはないと思いますよ」

認知症の人が出たらどうしよう・・・とcocoせせらぎという集団のこれからのあり方に恐れや迷いを感じていた私たちに 認知症の方たちと日々接しておられる先生が 拍子抜けするほどあっさりと「大丈夫!」と。そこに 認知症という症状を見るのでなく その人を見ている・・・といった人間への信頼のようなものを感じました。細身で長身 ハンサムな先生ですが 心はとても太っ腹。危険への配慮はもちろんしておられるでしょうが 管理的な施設ではありませんでした。  寒い日でしたが 先生の熱気をいただいて暖かい気持ちで帰ってきました。

これからcocoせせらぎは 認知症とともにどこまで歩めるでしょうか 手探りです。      学ぶことはもちろんつづけますが・・・仲間の認知症 自身の認知症とどのように前向きにつきあっていきましょうか・・・                           (土)

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年とるって悪くない

「そんなはずないでしょ? 生 老 病 死 という言葉があるじゃない それがまとめてやってくるのが 年とるっていうことでしょ」という声が聞こえてくるようです。たしかに生きる苦しみ 老いる苦しみ 病む苦しみ 死の苦しみ・・・どれも人として生まれたら逃れることのできない四つの苦しみ。これはお釈迦様がおっしゃる四苦で 残りの四苦(愛別離苦アイベツリク 愛する人と離れる苦しみ 怨憎会苦 オンゾウエク 憎い人、腹が立つ人と会う苦しみ 求不得苦 グフトクク 求めたものを手に入れることができない苦しみ 五蘊盛苦 ゴウンジョウク 私たちの心と体は苦しみ、この世の一切のものは苦しみ)と合わせて 四苦八苦なのだそうです。

自分が望んだわけではない(親ガチャの)環境に生まれ 学校生活にもまれ 就職して仕事にもまれ 結婚子育てしながらの仕事人生にそれこそ四苦八苦 やっと退職。生きる苦しみからちょっと解放されて年金生活に と思ったとたん 老いる・病む・死ぬ の三苦が束になって襲ってくるのが 仏教流に言う人の一生のようです。

私のつれあいは 退職してたった二年で亡くなってしまいました。仕事は 楽しんだか?といえば どちらかというと苦しいことの方が多かっただろうと思います。それを忘れようと いつも呑んだくれていましたから。家族への責任を終えて これから自由に過ごせるな~ という時に末期の肺がんが見つかり 身体中に転移していて手の施しようもなく 病む時間もたったの40日間・・・「楽しかったよ」と彼は最後に言ってくれたけど・・・ 老・病・死を40日間にまとめて経験し 逝ってしまった。。。

私はものすごく泣きました。でも愛別離苦のなかで 体の死はその人の終わりじゃないとなぜか確信できることがあったので それ以後は立ち直って 自分の「老病死から逃げる」のでなく「はじめての経験に立ち向かっていく」という前向きな気持ちになれました。 そのときふと 年をとるのって悪くないなぁ と気づいたのです。たとえば・・・

・体の方はあらゆる部品が古くなり シミシワシラガは数えきれず でもこれはDNAに組み込まれているのだから致し方ない 一方いろんな心配がなくなって今人生で一番たくさん食べたくさん眠って 人生最多体重を更新中

・「自分という車」の運転が楽になったこと 暴走したり故障したり・・・失敗しつづけてきたこの車も 自分の癖や欠陥・限界がわかって ここでギアチェンジ ここでハンドルを切る ここでストップ という具合に 自分の扱いがだんだんうまくなってきた

・すべてを自分でやろうとせず天に任せ 機が熟すまで待つことができるようになった(待ったおかげでcocoせせらぎにも出会えました cocoせせらぎは老いの正解だと思っています)

・待ったり 耳を傾けたりができるようになったら いろんなことをまっすぐに理解できるようになった

・長い間 生きる意味がわからず悩んできたが 私は私に生まれてきてよかったんだ と納得できるようになった

長い老後の時間を与えられ 今までを振りかえるゆっくりした時間をもてたからこそ 「年とるって悪くない」と感じることができたのだと。

1日の終わりの 夕闇せまるころのおだやかな空気 鳥も巣に帰り すべてのものの輪郭がぼやけてくる そんな時刻が私は好きです。最近ショパンコンクールの影響もあって ショパンの曲をよく聞くのですが 夕刻の静けさを感じさせるフレーズがたくさんあることに気づきます。39歳の若さで亡くなったショパンなのに ♪♪♪    でも早逝の人はそれなりで人生を完結している と聞いたことがあります。ショパンも人生の終わりを予感していたのかな。

今 私はその夕刻の静かな時間のなか ショパンを聞きながら老いの幸せを感じています。                           (土)

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そろそろ雛祭り cocoせせらぎには七段飾りの立派な雛飾りがあるのですが コロナで2年間しまいっぱなし。きっとしびれを切らしていることでしょう。今年は明るい日差しの中でおひなさまたちに逢いたいです。