cocoせせらぎホームページ  2023・2・28

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春の足おと

寒くてちぢこまっていたのに 日射しが今までよりちょっと明るくて 外に出ておいで!と呼ばれているような気分になる日があります。                         cocoせせらぎの3階から南を見ると 神庭(カニワ)里山と呼ばれる丘陵が広がっています。2月 その里山が 春だよ! と言っているようなうっすらピンクに霞んだような色合いに染まってくるのです。それを見たとたん 毎年かならず口をついて出てくる歌が・・・

丘の日射しは 明るくて                                 雑木林の楢(ナラ)の芽が                                 あかくけむって見えるから                                春は ほら ほら もうすぐそこまで                           きているよ

東北大学教育学部附属小学校教師だった富田博*作詞 仙台の高校教師だった海鉾喜美*作曲の『春の足おと』という歌。

私は富田博先生がいらした附属小学校に敗戦2年後の1947年に入学し この歌をよく歌いました。校歌も富田先生が作詞された「夜明けだ夜明け 青いぞ空は」という素敵な校歌でした。    物資も食料もなくて 私はわら半紙の教科書と数本の鉛筆を 布製のうすいカバンに詰めて ゲタを履いて 雨の日はカサもなく風呂敷をかぶって通う やせ細った小学生でした。ノミ・シラミだらけだったので 全校生徒一列に並ばされて 頭から袖口から白い粉のDDTを噴霧され 栄養失調だったので肝臓ゼリーや虫下し薬が配られ 脱脂粉乳とコッペパンの給食も3~4年生の頃からはじまりました。アメリカ軍から下りてきたのか 切り干しリンゴなどという不思議な給食もありました。

学校には戦争から復員してきたばかりの先生もおられ 真っ赤な顔で大声で怒ると軍国兵士だった面影が・・・なにしろ世の中は混乱していました。敗戦まで陸軍の末端組織に組み込まれ軍国主義一色だっただろう小学校が いきなりアメリカ占領軍がもちこんだ民主主義というものに 必死で順応しなければならなかったこの時代。戸惑いながら新しい教育のあり方をさがしていたのでしょう。この国立の教育学部附属小学校の全生徒は 毎月のように知能検査を受けたり脳波を取られたりと かなり実験的でした。

そんな学校の国語教師だった富田先生は 多分リベラルな優しい考えの持ち主だったのではないだろうか・・・戦争中はなにも言えず苦しい思いをしてきたけど 民主主義の時代がやってきて 勇ましい軍歌調でもなく お涙頂戴の演歌調でもない 子どもが素直に晴れやかに歌える歌を・・・と 湧き出すようにたくさんの詩を書かれたのではないかと想像します。

学校がえりの つるつる雪みち 走ってかえろー 走ってかえろー 走ってかえろ

タ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラッタ ラ                 カタカタ カバンが背中で鳴って クンクン子犬も尾をふって走る

何が起きたのかわからず大人になされるがまま 食べるものもなくやせ細った仙台の子どもたちに 富田先生は「戦争は終わって明るい時代が来たんだよ! 春がやってきたんだよ!」と伝えたかったのではないだろうか? 私たちは家でも学校でもこれらの歌を気分よく歌いました 作曲がまたとても歌いやすく 歌詞に合ったメロディーでしたから。

つらい思い出の方が多かった小学校時代でしたが 富田先生の歌が口をついて出てくると 不思議となつかしい気持ちで仙台を思い出すことができます。       (土)

 

 

せせらぎの春の兆し             

江川せせらぎ沿いの1月末 蠟梅が満開のお宅を見つけました。こんなにたくさんの花が咲いている蠟梅を見たことがないので もしかしたら別の花かも・・・

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今まで茶色一色だったのに 緑色の下草が生えてきた2月半ばのせせらぎ遊歩道

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河津桜の花芽が いまにも咲きそうにぷっくり膨らんでいます。IMG_00092月半ば 河津桜が開きはじめました。

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2月末 五分咲き?

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地面の上では野の花が開きはじめました。ホトケノザの花の一つ一つにかわいい顔が見えます。

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春一番にひらく野の花 クリスマスローズ

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