私の終活作業 1 2 3
2025・4・25
99才の母を見送ってから私自身の老後を真剣に考えはじめました
子育てと介護を終えると自身の老いにも向きあわねばなりません
地域活動をして、自宅で快適な一人暮らしを予定していたはずでしたが、親友の突然死とコロナが私の価値観を大きく変えました
私が私らしく居られるような住み方はないだろうかと暇にまかせてインターネットを検索して、グループリビングという生き方・cocoせせらぎと出会いました
子どもの住まいと1時間の距離だったのも大いに背中を押してくれました
バリバリの関西人の私が関東で生活するなんてできるかと心配でしたが、住めば都と思い切って移り住むことにしたのでした
[1]大きな移動でしたから、これをチャンスに両親の荷物、私の家財、独立した子供たちが残していったガラクタなどをこれでもかというほど大処分しました
5年経った今、まだ体力気力のある75歳でやってよかったとしみじみ思います
思い出の品々も母の茶道具も父が集めた焼き物類もお雛様も、あちこちでまた利用していただける行き先に落ち着きました。今なら一括処分の業者に頼んだかもしれません
これが終活作業の第一弾となり、引っ越ししてcocoせせらぎの生活がスタートしました まったく土地勘もなく、大首都圏の複雑な交通網には足がすくみ外出もままなりません ときどき京都に帰っては友だちと会い、英気を養いました
3年目になると生活にも慣れ、ここでできた友だちと食事に出かけたり楽しいことが増えました
[2]第二弾は遺言書の作成でした
子どもたちはそれぞれパートナーと暮らしています
私亡き後もいい関係を続けてほしいと、私の気持ち
を公正証書にしたためました
もちろん残ったものがあれば等分してほしいと記しています
[3]これでできることはしたかなと思いましたが、両親から相続した土地の始末があり、これが終活作業の第三弾になりました
(川沿いのハナミズキ)
50年以上前に両親が原野商法に引っかかり北海道の原野に広大な土地を所有していました
母にはあの土地のことは放っておきなさいと言われていましたが、相続登記をしなければならず、私の名義になり私が死ねば子どもたちに相続されます
行ったこともない原野の中にあり、資産価値はゼロです
これは負の連鎖になると思い、私で断ち切ることにしました
おりしも相続土地国庫帰属法ができて国に引き取ってもらえるのではと、またネット検索をしました
現地に行って杭を打つ、写真を撮る、隣土地との境界をはっきりさせるなどなど それをやり遂げる気力ももうありません
これは安心して任せられる専門家を探そうと、テレビやネットの情報に目を凝らしました たまたまテレビの対談でA弁護士の話を聞きネットで活動の様子を検索してみました 無料法律相談があり予約を入れるとA弁護士と話ができて信用できそうと思いました
結果としては1箇所は土地のある町に寄贈できました、一安心でした
もう1箇所は告知版に出してもらい、貰い受けたいという希望者数人と、電話会議をし その結果土地の近くに住んでいる人に貰ってもらうことができました
司法書士も挟んで名義の変更まできちんとできたのでこれで懸案の土地問題は解決しました
私たちの年代は、親の介護はするけれど、子どもたちに迷惑かけたくないと思う人が多いと思います 私もまさにその通りです
今回の3回の終活作業を終えてなんだか身が軽くなったようです
まだ気づかない終活作業があるのかもしれませんが、煩わされることは減ったのです
(川沿いの藤の花)
これからもcocoせせらぎで暮らしながら、自分らしくもう少し生きていこうと改めて思います
(入居者・石)