cocoせせらぎに暮らして      2025・4・25

私の終活作業 1 2 3

2025・4・25

99才の母を見送ってから私自身の老後を真剣に考えはじめました

子育てと介護を終えると自身の老いにも向きあわねばなりません

地域活動をして、自宅で快適な一人暮らしを予定していたはずでしたが、親友の突然死とコロナが私の価値観を大きく変えました

私が私らしく居られるような住み方はないだろうかと暇にまかせてインターネットを検索して、グループリビングという生き方・cocoせせらぎと出会いました

子どもの住まいと1時間の距離だったのも大いに背中を押してくれました

バリバリの関西人の私が関東で生活するなんてできるかと心配でしたが、住めば都と思い切って移り住むことにしたのでした

[1]大きな移動でしたから、これをチャンスに両親の荷物、私の家財、独立した子供たちが残していったガラクタなどをこれでもかというほど大処分しました

5年経った今、まだ体力気力のある75歳でやってよかったとしみじみ思います 

思い出の品々も母の茶道具も父が集めた焼き物類もお雛様も、あちこちでまた利用していただける行き先に落ち着きました。今なら一括処分の業者に頼んだかもしれません

これが終活作業の第一弾となり、引っ越ししてcocoせせらぎの生活がスタートしました  まったく土地勘もなく、大首都圏の複雑な交通網には足がすくみ外出もままなりません  ときどき京都に帰っては友だちと会い、英気を養いました

3年目になると生活にも慣れ、ここでできた友だちと食事に出かけたり楽しいことが増えました20250419_161231

[2]第二弾は遺言書の作成でした

子どもたちはそれぞれパートナーと暮らしています

私亡き後もいい関係を続けてほしいと、私の気持ち

を公正証書にしたためました

もちろん残ったものがあれば等分してほしいと記しています

[3]これでできることはしたかなと思いましたが、両親から相続した土地の始末があり、これが終活作業の第三弾になりました

(川沿いのハナミズキ)

50年以上前に両親が原野商法に引っかかり北海道の原野に広大な土地を所有していました

母にはあの土地のことは放っておきなさいと言われていましたが、相続登記をしなければならず、私の名義になり私が死ねば子どもたちに相続されます

行ったこともない原野の中にあり、資産価値はゼロです

これは負の連鎖になると思い、私で断ち切ることにしました

おりしも相続土地国庫帰属法ができて国に引き取ってもらえるのではと、またネット検索をしました

現地に行って杭を打つ、写真を撮る、隣土地との境界をはっきりさせるなどなど それをやり遂げる気力ももうありません

これは安心して任せられる専門家を探そうと、テレビやネットの情報に目を凝らしました  たまたまテレビの対談でA弁護士の話を聞きネットで活動の様子を検索してみました  無料法律相談があり予約を入れるとA弁護士と話ができて信用できそうと思いました

結果としては1箇所は土地のある町に寄贈できました、一安心でした

もう1箇所は告知版に出してもらい、貰い受けたいという希望者数人と、電話会議をし その結果土地の近くに住んでいる人に貰ってもらうことができました

司法書士も挟んで名義の変更まできちんとできたのでこれで懸案の土地問題は解決しました

20250418_095557私たちの年代は、親の介護はするけれど、子どもたちに迷惑かけたくないと思う人が多いと思います 私もまさにその通りです 

今回の3回の終活作業を終えてなんだか身が軽くなったようです

まだ気づかない終活作業があるのかもしれませんが、煩わされることは減ったのです

(川沿いの藤の花)

これからもcocoせせらぎで暮らしながら、自分らしくもう少し生きていこうと改めて思います

(入居者・石)

 

COCOせせらぎに暮らして   2025.3.31

ふるさとの山林火災

2月26日に岩手県大船渡で発生した山林火災は一週間以上延焼を続け 市の9%に及ぶ2900ヘクタールを消失 住居も210棟が被害を受け  3月14日の時点で200名ほどの人々が避難生活をされているとテレビで放映された。20250303-OYT1I50119-1

私はふるさと岩手の山林火災を心配し どんな支援ができるか考えていたが テレビで東銀座のアンテナショップ銀河プラザで大船渡の名産品を 多くの人が購入して応援している様子が映った。

アッ これだ! 私も東銀座物産館でワカメ かもめの玉子 南部センベイ等を買おう! と思って さっそく友人と二人で銀座に出かけた。

ところが あいにくワカメは品切れ。やはり同じ考えの方が大勢いて その人たちの買い物カゴはワカメであふれていた。私はしかたなくお菓子類を買って そして心ばかりの募金をしてきました。

大船渡には高校の時の同級生が住んでいて 14年前の津波の時は高台だったので被害に遭わなかったそうだけど 今度の火災は大丈夫だったのかしらと心配しています。

津波の被害に遭い 家を新築しローンを払い終わったばかりで再度の被害を受けたという人もいるとのこと 本当に気の毒です。

やっと3月9日になって火災の発生から11日目に まとまった雨と雪が降り 火は鎮圧状態となった。今回の山火事の第一の原因は 降雨が例年の3%程度と極端な乾燥下にあった。そして地球温暖化も理由といえる。

つらい災害が私のふるさと大船渡に起きたが メジャーに移籍したドジャーズの佐々木朗希選手が活躍していることは 地元の人たちにとって嬉しいことと思う。

大船渡の皆さん 火災に負けず 漁業や農業に取り組んでください そして頑張ってください。                    (入居者:及)

cocoせせらぎに暮らして  2025・3・1

久地梅林を訪ねて

2025・3・1 

2月24日は朝から雲一つない青空、まさに冬晴れの1日となりました。

近場で梅の満開を見たいと、ネットで検索したり仲間に聞いたりで、バス一本で行ける久地梅林公園に行くことにしました。

バスで40分弱、下車しても案内もなくまごまごしてしまいました。

道ゆく人を捕まえてはいつもの通り聞いてまた聞いて・・・です。

ネットでは徒歩4分とのことでしたが 杖をついた我ら2人には倍の時間がかかってしまいました。

多摩川から流れる小さな川を渡ったところに久地梅林公園はありました。

公園を入ってすぐの枝垂れ梅は満開でした。IMG_0460

あまり大きな公園ではありませんが、中央は子どもが遊べる広場になっていていました。遊具も置かれていて、振替休日の今日はお父さんらしき人が子どもとボール蹴りをしたり、自転車の練習をしたりとのんびりしたいい雰囲気でした。

周りは少し小高くなっていて、紅白桃色の梅が全て満開、枝垂もありました。 

最初は気づきませんでしたが、北原白秋がここを訪れた時の歌碑がありました。

「久地梅林の梅」

君がため 未明(まだき)に起きて 梅の花

見に来たりけり まさやけき花

白秋

白秋が与謝野鉄幹の還暦祝賀会に寄せて詠んだ歌でした。IMG_0476

当時この辺りの梅は有名で屋台も出るほどの人出だったらしいです。

不勉強の私は“まさやけき”にはてと思い少し調べてみました。

ま は形容詞の接頭語  さやけしは 漢字では明けし、清けしと書く

まさやけき花は梅の花を指すわけですが、

意味としては『そのものが澄んで清々しく美しい』となりそうですが、

鉄幹を指し示しているのではないかと思いました。 

帰りはまた梅林バス停に戻り、溝の口へ

昼過ぎになっていましたので、以前から気になっていた手打ち蕎麦屋でランチしました。IMG_0479

満開の梅とほのかな香り、風が吹くたび舞う花びらに癒されて

美味しいお昼もいただき、

その上 一日目標の5000歩もクリヤーして

素敵な1日を過ごしました。

風薫る久地の梅林陽もうらら幼子の声微かにきこゆ

(入居者・石)

 

cocoせせらぎに暮らして  2025・2・25

食器の後片づけができれば 自立している? 

2025・2・25

先月の入居者会議で だんだん食後の皿洗いがシンドくなってきた話題が出て 結論に至らなかったので 今月も意見を出しあいました。

皿洗いができる人 もうできないと思う人・・・先月とメンバーは同じなので 話は堂々巡りになりながらも

「お金を払って外の方にやってもらうとすると 値上げを考えなければならないし・・・それは避けたいね」

「入居者が皿を洗って やれない人は小瓶にお金を入れるという お金で解決する方法はイヤだな」

「前に”自立と共生” について佐々木炎先生は ”自立するためには依存できる先をたくさん作ること” と話されていた。せせらぎの中でお互いに できないことは依存しあってもいいんじゃない?」

などなど意見が出ました。

でも結論!というようなパッとした答えは出ず 皿洗いできない人の分はできる人が洗うという 今までと変わらない後片づけ風景がつづくことになりました。

私個人の感想ですが ”入居者個人の自立と共生” でなく ”集団としてのせせらぎの自立と共生” が成り立てば・・・つまりはできないことをお互い補いあいながらも 入居者集団としてできるだけ自立し共生していければいいんじゃないか なんでもお金で解決するんじゃなくて と思ったのです。

みんなできないことが一日一日増えていくせせらぎの生活 でも身の回りのことはできるだけ自分の手でやりたい。特に台所仕事は 生きる力に直結すると言われているので できるだけ最後まで手離したくない。できることなら月に一回でいいから「献立を立てて 10人分の買い物して 手順を考え6時の出来上がりを目指して調理し 配膳し  片づける」をやりたいとこっそり夢みたりしている私です・・・もう無理かなぁ。。。

今 平均年齢83歳 この「せせらぎの自立と共生」 みんなでどこまでつづけられるでしょうか? がんばってみます!

(入居者・土)

20250217_14091220250217_14084720250217_1404052月中旬のお天気のいい日 cocoせせらぎのある元住吉駅から東横線に乗り 大倉山駅で下車して街を散歩してみました
ひな祭りももうすぐ 春の装いの手作りケーキ屋さん

 

 

道路に面した家の玄関先 象の植木鉢に植えられた春の花

 

 

 

 

 

 

シダレ梅? それとも桃でしょうか 満開でいい香りを漂わせていました

 

cocoせせらぎに暮らして      2025・1・25

皿洗いって いつまでできるかなぁ?

2025・1・25

おそなえ餅が棚にまだ飾られ 正月気分が残っている1月6日の朝 ひとり入院中で9人のメンバーでしたが 明るい陽射しのサロンに集まりました。

今年最初の入居者会議 いつも”会議はサッと終わろうね”と言ってるのに 今日も解決が難しいテーマが出てきて いろんな意見が交わされました。

そのテーマとは?

メンバーのみんなが一年一年 日常の動きがむずかしくなってきているなかで ”食器の後片づけ” について話し合いたい と提案があったのです。

食事スタッフの方は夕食を作りおわると帰宅 私たちは「美味しかったね~」と食べおわったら 後片づけは自分たちでやろうということになっています・・・できるだけ自立の生活をめざして!

ところが お盆にのった重い食器類を両手で持って 転ばないように流しまで運ぶのがむずかしくなる・・・腰や腕が痛んでくると流しに立って皿を洗うのがつらくなる・・・乾燥機にいろんな形の食器を詰めこむのがややこしい・・・流しを磨き布巾を洗いゴミを袋に詰めて外のゴミバケツに入れるまでの作業はシンドイ・・・まして1時間後に食堂にひとり降りてきて乾いた食器を棚に納めるのはもう億劫! 忘れることもあるしね・・・と これらは程度の差はあっても みんなが感じている煩わしさです。

「乾燥機をやめようか? 自然乾燥とか・・・お皿ももっと軽いものに変えて 片付けをシンプルにしようよ。」

「乾燥機がないとダメ! 水分が残ると菌が繁殖して 食中毒につながる。」

すでに「後片づけは卒業したい」と言うメンバーも二人います。

他に「代金を支払って外注にしたい」と提案する人もいます。

「当番制にしているからきつくなるんじゃない? 皿洗いも せせらぎ生活がうまく回るためにできる人ができる範囲でやっている”小さな仕事”の一つと考えて できる人がやればいいじゃない?」

「そうなったら できない人は申し訳ない気持ちになる。」

「じゃあ やらない人は空き瓶に一回10円とか50円とか入れて 一ヶ月たったらそのお金でみんなでビール飲むっていうのはどう?」

「中のメンバーじゃなく外の人にお金を払ってやってもらうのが一番気楽だね。」

「うん そういうこと。」

「私は台所仕事から離れたくない。やめたらあっという間にフレイルになってしまうから できるだけ長く好きな台所仕事をつづけたい。好きなことをつづけていれば 元気を保てるって言うじゃない?」

などなど・・・いろんな意見が出てきました。

あれ? これってcocoせせらぎの柱「自立と共生」を実際に即して考えるのに合っているテーマなんじゃない? 自立と共生という抽象的な概念の中に ”皿洗いという具体的な行為” をどのように落としこむか? 私は8年もここに住みながらまだうまく理解できていない「自立と共生」 それを実生活に応用して考えてみるいい機会になるんじゃないか とふと感じたのですが・・・

会議はもう予定の時間を過ぎていました。どんな答えを私たちは出すでしょうか? つぎの機会に報告したいと思います。

(入居者・土)20250121_163901

 

冬のサルスベリ             春には葉をさかんに出し 夏・秋にかけて花を雲のようにたくさんつけたのに・・・いま川の淵に何事もなかったかのように立つ裸木

 

cocoせせらぎに暮らして   2024・12・25

  ” 楽しい選挙戦 ”

                                                                                                                  2024・12・20

あれれ? なんか変だ・・・生活の質がどんどん落ちてきているんじゃない? と思うことが最近よくあります。

コロナが流行りはじめたころ消毒薬が薬屋さんからあっという間に消え たかが一枚のマスクにも長い行列ができたことにはビックリだったのですが 最近になって私は咳止め薬を求めて あれれ?と思うほど遠くまで薬局を探しあるきました。

バスの便数やコースが年々減ってきて タクシーもなかなか来なくなって 私たちは外出をためらってしまうのに せまい路地裏にまでお金持ちのベンツやアウディなどの高級外車が走りまわっています。

木々の多かった所からいつの間にか緑色が消えて コンクリートの高層ビルがニョキニョキとあらわれ・・・

公務員だと思っていた図書館司書 ハローワーク職員 役所職員など多くの人が非正規雇用だそうで なんと日本の労働者の4割が非正規 あれれ? 年金どうするの・・・

ヨーロッパから乳製品を輸入するために日本の酪農家が牛乳を溝に捨てたり お米がいきなりスーパーの棚から消えたり 値上げの波が次々とやってきて 食べるに困る人々がフードパントリーに並ぶ。「一日二食しか食べられないひとり親世帯を助けて!」というテレビの公共広告に胸が痛みます。そして強盗詐欺事件の多いこと・・・つい最近の事件では税金の支払いに窮した若者が闇バイトに誘いこまれたという。

なんか貧しく荒れた社会になっていくなぁという実感は GDP一人当たり世界第2位だったのが今や36位だし 30年間日本だけ賃金下がりっぱなしという統計が出ていると聞けば あれ~実感通りなんだと納得。税金・社会保険料として給料の48%も引かれるのでは 若い人たちが結婚も子育ても家も車もあきらめるのは当然の成り行きだなー と。

折しも政治家が資本家を招いてパーティを開き 何百万 何千万のお金を帳簿につけないままポケットに入れていたことがバレて 国民の怒りを買い 今年10月「選挙でガラガラポン!」ということになりました。

あれ~ なんか政治がおかしい 私になにかできることないかなぁ~ と考えはじめるのがバカなところなのですが こんなに貧富の差が広がった社会を子どもや孫の世代に残せないじゃない? と82歳 人生初の選挙の手伝いを体験しました。

選挙ってどうやるの? 最初は恐る恐る エネルギーに溢れた若いボランティアの皆さんの後ろについていきました。横浜の選挙区は坂道や階段が多く 心臓パクパク 息ハーハー でも皆さん特に私を年寄り扱いするでもなく またスピードについていけないと見れば足を緩めてくれたり・・・やさしい若い友人がたくさんできました。

ネコの手より少しはマシかな と思いつつ手伝わせてもらっているうちに 2週間はあっという間に過ぎ・・・結果は「あれれ~落選!」。でもこの30年間ビクともしなかった国会がグラっと動いて 与野党伯仲の緊張感が生まれはじめた様子。私たちの生活の質は 少しは上がるかな?

何よりの収穫は選挙戦を通して健康になり フシギなことに風邪をひかなくなりました。    私の今年最大のイベントは。。。そう、もちろん”楽しい選挙戦”でした。   (入居者・土)

20241211_140636

選挙が終わってほっとして     日吉慶応大学構内の銀杏並木を見に。

イチョウの葉が落ちて       真っ黄色になった道を散歩     夕日が射して あたり一面     ぼーっと明るい道でした

 

 

 

 

 

 

 

  家族で韓国旅行に

2024・12・25

今年夏頃 旅行に行こうよと話し合いになり どこにする! 娘と孫娘・孫息子・私の4人で韓国に行こうということになりました。

コロナ禍の前に失効していたパスポートを取ることからはじめました。孫息子が来春大学卒業し 就職先が内定し 3月には会社の寮に入ることになるそうで そうなったら)家族で一緒に旅行は無理なので それぞれ仕事や学校の用事を調整し 12月初旬にしようと決めました。

娘は二度目の韓国 他の3人は初めて。手続きはすべて娘に任せ 私はついていくだけ。足腰が丈夫なうちと決めたのは正解でした。

1日目は羽田発朝8時半の飛行機に乗るため 娘宅を出たのは5時半 金浦空港に着いたのは11時半でした。入国するのに1時間以上かかり 迎えに来ていたタクシーに乗れたのは1時半。

ソウルは1週間前に大雪に見舞われ 心配していましたが 三日間好天でほとんど雪は溶けており 乗り物に乗っているときは何の心配もなかったのですが 外の空気はとても冷たく さすが韓国と思いました。

最初に案内されたのは世界遺産の韓国民俗村でした。民俗村はとても広大で 朝鮮時代の建物や文化を見ることができました。1734850292368グルメや商店も多く 短時間に回りきれませんでした。ランチには焼肉を食べ 大いに堪能しました。タクシーの運転手はとても気さくで また2時間ほどかけてホテルに送り届けてくれました。日本語が堪能でいろいろ話をしてくれ楽しい会話でした。ソウルは片側5車線が車で溢れ渋滞していました。           (写真は民俗村での踊り)

一旦ホテルに荷物を置いて 賑やかな明洞(ミョンドン)の商店街を見て回りました。夜店の通りは観光客であふれていて なかなかお土産を買うことができず タクシーを拾えず 地下鉄でホテルに戻り眠りにつきました。

2日目はホテル始発のバスツアーで 北朝鮮国境線までバス貸切で出発しました。アメリカ人と日本人の乗客はそれぞれの言葉が流暢なガイドさんの案内で国境線近くまで到着 近くは鉄条網に囲われていました。北朝鮮との国境の北緯38度線や地下トンネルのそばまで行くと バスの中に韓国の兵士が入ってきて パスポートと顔写真を見比べられ 1734850159830写真撮影禁止 指差し禁止 不安材料満載でした。   (写真は北朝鮮と韓国の軍事境界線)

国境では小高い山道を登るということなので 私は疲れていたのでバスに一人残り 北朝鮮が見えるところまでは行きませんでした。娘の話では 展望台から見渡せる所からは 北朝鮮の農場で働いている人たちが見えたということです。

ホテルへの帰途 ソウル付近では尹大統領に対する大規模なデモがあり バスが渋滞に巻きこまれ途中で降ろされました。ホテルには地下鉄で帰宅しました。若い人たちはもう一度夜の街に出かけ深夜1時まで買い物 でも私は疲れて寝てしまいました。

3日目は朝遅くホテルをチェックアウト 1734850341856空港に着く前に参鶏湯(サムゲタン)を堪能しました。       (写真は土鍋の中に一人前 鶏一羽の参鶏湯)

夜7時半の飛行機に乗り 娘の家に着いたのは夜11時過ぎ 3日間で3万歩近く歩きました。 食べ物はどれも美味しく 今度行くときはハングルを読めるようにしたいです。                (入居者・及)

 

cocoせせらぎに暮らして  2024・11・30

秋を求めて

2024・11・20

地元旅行社の東北一泊バス旅行に便乗して cocoせせらぎの入居者・スタッフ・ボランティアの7名が秋の旅に行ってきました。

首都高速道に乗ったとたんにさっそくビールで乾杯して盛りあがり 昼は宇都宮名物の餃子でした。

途中に立ちよった若山農場は竹林と栗林の農場です 竹林散策と青竹のお椀でいただいたお抹茶は甘露 お椀は旅の記念にいただけました。

春は筍 秋は栗を無農薬有機栽培で100年にわたり作っているそうです。

荷物になるなと思いながら4Lの栗の大きさに惹かれ つい買ってしまいました。

(余談ですが 帰宅後ゆで栗 栗おこわ 焼き栗にチャレンジしたところ期待以上のできばえと味に大満足で 旅のはじまりに重い物を買ってしまった後悔も吹っ飛びました。)

ふたたび高速で一路福島へ 今回一番の目的地“野地温泉♨️”へと山を登っていきます。

高度が上がるにつれて木々の色付きが鮮やかになりましたが 日没が迫ってきましたので明日山を下るときの楽しみに取っておこうと あたりに硫黄のにおいの漂う野地温泉ホテルに到着です。

山の途中にいくつもの温泉がありましたが野地温泉は一番高く 海抜1200mです。

古くからの湯治場で源泉掛け流しの濁り湯は地元の人にも雲上の湯として親しまれてきたようです。

到着後の夕食までの時間に まずは一風呂浴びました。

内湯と露天風呂の濁り湯は柔らかく 皮膚に効くというのもなるほどの納得です。

夕食時は大広間の宴会でカラオケ大会になり 皆さんつぎつぎにリクエストしながら曲に合わせダンスする人もいました。

締めはせせらぎエースのSさんによる河内音頭で全員が踊りました。

その後二次会をしたり入浴したりで 夜も更けて就寝。

ガイドさんの情報によると夜間の降雪で猪苗代湖へのスカイラインは通行止め この辺りはみぞれだったとの事でした。私は窓からの雨音がだんだん強くなり目が覚め 朝風呂と朝食の後 出発の9時には雨が上がりました。朝靄のなか 右左に紅葉の山を眺めることができました。

雨の予報も出ていたのに 晴れ女多数参加のお陰か次の会津若松鶴ヶ城に着くまでに青空が出てきました。image3

城の大きな銀杏が真っ黄色に染まり見事でした。足元に落ちているギンナンを見ていると 地元の人が早朝にギンナン拾いにくると教えてもらいました。

鶴ヶ城は会津白虎隊の戦いを思い出させますが、現在の城は昭和に建立されました。

登ることも可能でしたが エレベーターがないとのことで諦めました。土産物センターの品揃えは豊富で 地酒を買った人も多かったです。

image6

つぎは今回のバス旅の二つ目の目玉の大内宿でした。江戸時代の街道と宿を彷彿とさせる茅葺きの住居が道に沿ってならび 借景となる山々の紅葉も見事で 多くの人が散策していました。

私たちはまずお昼をいただくことにして 名物の高藤蕎麦や天ぷらその他でしっかり腹ごしらえ 冷水で引き締められたのか お蕎麦がことの外おいしく感じられました。

スタッフのSさんのご実家が街並みの中頃でお土産屋さんをしておられるので これもご縁と押しかけて義姉さんとご挨拶しました。

いい旅だったなあと感じつつ 夕暮れの迫るなか また高速に乗って帰宅しました。

(入居者・石・太)

 

少しの負荷を

2024・11・30

先日90歳を迎えられた上皇后美智子さんが まだ60代頃のある誕生日にこう言われたのを憶えています。

「還暦を超え これからは日々の生活に少しの負荷をかけながら過ごしたいと思うようになりました。」

えーっ! 美智子さんが負荷をかけるって? すべてのことを誰かがやって差しあげる皇室のやんごとなきお方が なにに負荷をかけるのだろう・・・もちろん公式行事 日々の公務にお忙しいとは思うものの 買い物 炊事 身辺の片付けや家計の心配などとは無縁の方なのに・・・ そういえばお若い時のことを思い出してみると それまでの皇室では育児は乳母に任せきりだったのに 「自分でやります」と宣言して離乳食を作っている写真が公開されたこともあって 生活のなかで少しずつ自立の領域を増やしていかれたのかな などと想像したものでした。

それから20数年もたって 美智子さんが言われたこの「負荷」という言葉が なぜか私の頭をよぎるようになったのです。すっかりガタのきた体や頭をかばって 私の日常ときたら・・・すぐにエレベーターに乗りたがるし 近所の買い物にもつい自転車に乗るし 重いものを持ちたがらない 新聞のめんどくさそうな記事は読み飛ばす 本は積ん読 手紙を書かなければいけないことにもメールや電話ですましてしまう めんどうな仕事はテイよくお断り 混みいりそうな人間関係からはそっと離れる・・・。

80を過ぎたのだから と自分を甘やかしてばかりのこんな生活をしていたとき 「負荷」という言葉が私の肩をトントンと叩きました「これを続けていたらフレイルの坂を転げ落ちるよ」と。。。

少しの努力と挑戦 少し荷を負うこと 今までよりほんの少しエネルギーのいることを敢えて自分に課してみよう と思いはじめました。エレベーターはやめて階段を登ってみよう 自転車じゃなく歩いてみよう 今まであまり読んだことのない類の本も勧められたら手に取ってみよう 新しい人間関係に思いきって飛びこんでみよう と。

すると・・・82歳の膝や腰はギシギシいうけど 面倒臭がりの頭はパンクしそうになるけど 緊張はするけど 坂を転げ落ちるスピードがちょっと緩んだような?? いや、気のせいかな?

週に二回 小さなフィットネスのジムに通って 今の体力を維持できれば最高!と思いこんでいたのですが 「少しの負荷をかける」を決心してからは体力補強!とばかりに ウォーキングマシンで10分しか歩かなかったのを12分に ボート漕ぎマシンでは8の負荷を10に上げようとする自分がいたのです ぷよぷよの脂肪を筋肉に! ハーハーいっている肺を息切れのしない肺に!を目指して。

願わくば 死ぬまでになんとか腕のフリソデをツツソデくらいにしたいなぁ。。。

(入居者・土)

20241115_134108               20241115_140859      11月半ば 友人と世田谷区の砧公園を散歩しました。環八に沿って 車の行き来のはげしい都会の真ん中 でも一歩入るとしーんとして 広々とした空間に木々が自由に 少し色づいた枝を広げていました。

 

 

cocoせせらぎに暮らして   2024・10・30

歌 と うた

2024・10・30

あの炎暑は一体何だったのかと思うような冷涼な秋晴れが続いています。空気が軽くなって心地よく呼吸できる。

この春、息切れがあるのでかかりつけ医に相談、肺活量測定、レントゲン撮影、MRI検査など一通りの調べの結果、軽度のCOPD(慢性閉塞性肺疾患)という診断だったので合唱練習を休んでいました。cocoせせらぎから洋光台の練習会場に通うのもしんどいので、現在も休団。

その上3月に転倒して硬膜下血腫の手術で三週間入院治療の間に、廃用症候群で歩くこともままならず、とうとう介護度1の認定を受ける羽目になりました。83歳の老人であれば救いがたいというほどの状態ではないと思うも、自宅でじっとしていることも性分にあわない。

ゴロゴロしていたところ、高校時代の国語古文参考書に手が触れ、万葉・古今・新古今・・・・等の勅撰集の名歌を遅まきながらなぞるように復習し、和歌短歌に改めて興味を抱いたが、読むのと詠むのは大違い。「虚ろ歌」「腰折れ歌」しかできないが、五+七+五+七+七=三十一文字に揃えるのは結構たいへんな作業。紙の辞書、デジタル古語辞典、現代歌典、       高層マンションと名月

インターネット検索に頼っているが、花鳥風月春夏秋冬ヒトモノコトへの感覚が加齢とともに鈍化しているので、何を詠むのか焦点の合った一語が定まらないで四苦八苦。月一回の例会に出すことになっている僅か二首の課題提出さえ期限切れもあるが、年寄りには短歌は努めて続けようと思います。

妻の死、満五年の11月、この二首で独り飲酒します。

背を丸め小物繕う居間の妻小春の午後の光やわらか

死ぬ妹がなしとなげきし安楽死遂に遂げたりモルヒネを借りて        (入居者・池)

20240920_193412

 

 

 

cocoせせらぎに暮らして  2024・9・20

筆を口にくわえて・・・星野富弘詩画展 

20240912_100855

2024・9・20

8月23日 近くの日吉の教会で「星野富弘・花の詩画作品展」があるから タクシーで行きましょう と入居者の T さんに誘われ せせらぎの仲間4人で行ってきました。

会場には40枚ほどの詩画作品の原画が展示してありました。星野さんの書く詩や草花の絵は 優しさと温かさにあふれていて 原画に触れ 生命の尊さを改めて感じる出会いになりました。

私が星野さんを知ったのは約40年ほど前で 友人のススメで詩画集を見るようになり 感動して本を買っていくうちに3冊になりました。せせらぎに越してくるときに たくさんあった本はだいぶ片付けたのですが この3冊は大事に持ってきました。

1970年 星野さんは群馬大学卒業後 中学校の体育教師となり クラブ活動中に頸椎を損傷して手足の自由を失い 大学病院に入院。

2年後に口に筆をくわえて文字を書きはじめ さらに2年後からは花の絵を描きはじめ 7年後に最初の作品展を開きました。1日に2時間 筆を口にくわえて 一つの作品に仕上げるのに大体10日から15日かかるそうです。 IMG_0012

星野さんの絵と詩を見るたびに 人間の可能性はすごいものだと 勇気と強さを感じます。私は落ち込んだときには 星野さんの本を広げて励まされています。良い本にめぐり会えたことに感謝です。

星野さんは今年4月 78歳で亡くなりました。もう新しい絵を描かれることはないんだと思いながら 原画展の会場でもう一冊買い求めました。群馬の記念館にもぜひ行きたいと思っています。              (入居者・及)

cocoせせらぎに暮らして  2024・8・25

 体を鍛える・・・フィットネス

2024・8・25

昨年の半ばころだったか お誘いのチラシをいただきました。               「シニアの体の衰えを防ぐための高齢者向けフィットネスをやっています           週に二回 送り迎えもあります 保険診療の範囲です 一度体験してみませんか」

街中のフットネスの広告を見かけることがありますが 高額の入会金と高額の利用料。でもここは保険の範囲ですって・・・ 一度体験してみましょうか? 体験でも送迎してくださるというので みなで興味津々フィットネスというところに行ってみました。

通りに面したガラス扉に【◯◯整骨院】と書いてありました。元住吉ブレーメン商店街はずれに 先生と 受付その他いろいろ面倒を見てくださる奥さん 送迎車の運転士さん 3人でやってらっしゃる可愛いフィットネスでした。

中に入ると 所狭しとウォーキングマシーン 足踏みマシーン 自転車漕ぎ トランポリン 贅肉落としのバイブレーター 腕を鍛えるマシーン 腰のひねりを強化するマシーン 背筋腹筋を鍛えるマシーン・・・などなど全部で14、5台が並んでいます。

私たちはまず後期高齢者医療保険証を提示して 今の自分の体の状態を書く用紙に記入しました。するとロッカーの鍵についたタイマーを貸してくださり 3分半くらいの目安で 自分に合いそうなマシーンを3つ選んでやってみるようにと。 82歳にしてこのようなマシーンは初めての私・・・なんでもいいか まず側にあった腕の筋肉を鍛えるのがいいかな?と ボート漕ぎのようなマシーンに座りました。腕っぷしは自信ある方なので難なくクリアー。でも次の背筋腹筋マシーンに移るとなかなかの苦行  お腹の筋肉がつりそうになりギブアップ! 三つ目のかがんだ姿勢から立ち上がるマシーンにはまったく歯が立たず足はブルブル 頭の血管はドキドキ。。。。してきました これはキツイ!!IMG_0005

三種類のマシーンを終わると 今度は奥のベッドで肩腰に電気をかけながら 片足ずつに長いブーツのような物を穿いて空気で圧迫 血の循環をよくする(らしい)療法がはじまりました。マシーンでドキドキした後だけに ベッドに20分くらい横になっていたらうとうとしてしまいました。

うん 体が軽くなった! これは体によさそう また来ます! と帰りの車に乗りこみました。体験を終えて せせらぎから5人が会員になることとなり 今は週に2回通っています。

新聞に「厚生労働省が高齢者に 毎日4~5000歩の散歩と 週2回の筋トレ・ストレッチ・フィットネスなど体を動かすこと を健康指針として推奨」という記事を見つけました。あら 週に二回送り迎えまでしてくださる◯◯フィットネスは 後期高齢者の私たちにぴったり!

その上 体のどこかに故障が出たときには先生が診療して マッサージや体の動かし方の指導をしてくださるし 奥さんは私たちの名前をあっという間に覚えて「〇〇子さん おはようございます!」と明るく声をかけて 送迎の運転士さんはついこのあいだまで介護のお仕事をされていたそうで乗り降りサポートも懇切丁寧・・・私たちはこんなご縁に恵まれ 毎回感謝のフィットネスなのです。

(入居者・土)